ハーレーダビッドソンパンヘッドの歴史

ハーレーダビッドソン
パンヘッドの歴史

June 28th, 2016

ナックルヘッドの後継モデルとして、1948年にリリースされたパンヘッド。ハーレーダビッドソン初となるアルミヘッドを持ったエンジンに、どこかノスタルジックな雰囲気を漂わす造形と、豊富なラインナップで人々を魅了した。ここではその、アメリカの古き良き時代、いわば黄金期に産み落とされたアーリー・アメリカンモデルであるパンヘッドの世界を深く掘り下げていこう。

パンヘッドの名前の由来と、
製造されていた期間は?

パンヘッドのパンは『鍋(なべ)』という意味で、ロッカーカバーの形状がフライパンを逆さまにしたような造形から来ている。製造された期間は1948~65年の17年間で、ナックルヘッドの11年間より長く、次に登場するショベルヘッドの18年間とほぼ同様となる。

パンヘッドの種類と、
それぞれのモデルが誕生した年は?

パンヘッドは大きく分けて、ヨンパチ、ハイドラグライド、デュオグライド、エレクトラグライドの4モデルに分けられる。それぞれについて年代順に見てみよう。

【1948年】
ヨンパチ
・パンヘッドの誕生年。この年のモデルのみスプリンガーフォークが採用され、希少性の高さから今でも製造年の、「ヨンパチ」の名で圧倒的な人気を誇る。
【1949年】
ハイドラグライド
・スプリンガーに代わりテレスコピック・フォークが採用。モデル名のハイドラとは、オイルダンパー入りのテレスコピック・フォークから来た呼び名である。
【1952年】 ・シフトチェンジはそれまでハンドシフトだったが、この年よりフットチェンジとなり現在に至る。また、1000ccのELモデルの販売が中止となった。
【1955年】 ・FLH1200がリリースされる。
・FLの圧縮比:7.25、FLHの8というハイコンプ仕様がラインナップに加わる。
【1958年】
デュオグライド
・前後のサスペンションシステムのことを指す『デュオ』グライドがリリース。リアはスイングアーム式のサスペンションで、左右に2つのオイルダンパーサスが装着される。
・シリンダーヘッドのフィンが大きくされ、エンジンの冷却効果が高められる。
【1965年】
エレクトラグライド
・キックではなく電気スタートという意味から、『エレクトラ』グライドと名付けられた。セルモーターが完備される。
目次

パンヘッド17年間の歴史

1948panhead
1948 FL

17年間もの長きに渡り生産されたパンへッドエンジン。1966年に後継モデルのショベルヘッドにバトンを渡すが、ショベル初期のアーリータイプのジェネレーター(直流発電機)付きモデルにパンヘッドのクランクが使われていたことを考えれば、17年間という実数値以上に息の長いモデルであったことが分かる。

また、エンジンばかりでなく、パンヘッドのどこかノスタルジックな雰囲気は、豊富なシャシーデザインによるところも大きい。1948年のパンヘッドがデビューした初期モデルでは、リジッドのハードテイルフレームに、スプリンガーフォークが装着された。しかし、1965年の最終モデルになると、前後のサスペンションが油圧のデュオグライド・フレームに変更となっている。このようにパンヘッドは17年間の歴史において多くのスタイルチェンジを実施。外観面において、実に様々なデザインでリリースされていたモデルだったのである。

1965panhead
1965 FLH Electra Glide

ちなみに、このパンヘッドが歩んできた歴史を、まるで当時をそのままなぞるかのようにエボリューションモデルのラインナップで再現している事実に気付いた人がいれば、その人は相当なハーレーフリークということが出来るだろう。

BMW500R5から受けた衝撃

bmw 500 r5
BMW 500 R5

さて、パンヘッドの歴史をひも解くには、まず第二次世界大戦時にまでさかのぼる必要がある。当時のハーレーダビッドソンの開発陣は、軍用モデルのフラットヘッドWLA750ccの一部にアルミヘッドを採用したといわれている。そのヘッドは、市販のフラットヘッドモデルにおいても1940年からオプションとして扱われ、1200ccと1280ccの2タイプが用意された。しかしそこで、ハーレーダビッドソン開発陣のそれまでの論理が根底から覆されることになる。そう、レースシーンで他メーカーのバイクによる衝撃的な光景を目の当たりにするのだ。

アメリカンのレースシーンは当時、ハーレーとインディアンの2大巨頭が独占状態にあった。しかし、1938年のイリノイ州スプリングフィールドのサーキットに見慣れない一台のマシンが持ち込まれた。そのマシンの名はBMW500R5で、500ccながらそれまでのハーレーの理論では推し量ることの出来ないポテンシャルを秘めたモデルだったのである。

このマシンにハーレーのライダーであったジョー・トーマスが乗り、マイルレースに挑戦。エンジンが左右に突き出た特徴的なシリンダーヘッドに若干の不安を覚えたものの、持ち前のテクニックで危なげないライディングを披露した。その結果、平均時速150km/h弱という圧巻のスピード走行で関係者を驚愕させたのである。そして、アメリカ製の750ccバイクよりもヨーロッパの500ccバイクの方が速いことが実証されたため、以後、二の足を踏んでいたヴィンセント・コメットやノートン・インターナショナルといったヨーロッパ勢のレーサーが次々と持ち込まれるようになっていった。

エンジン材を鋳鉄からアルミへ変更

排気量の小さいBMW500R5に劣る理由

ところで、そもそもなんで250ccも排気量の小さいマシンの方が速かったのだろうか。それは素材の違いがポイントになってくる。1907年に始まった由緒ある公道レース、『マン島TT』の盛り上がりによって、ヨーロッパでのエンジン設計に対する考え方はBMWを筆頭に、これまでの鋳鉄からアルミ素材へと変わっていった。

一方、ハーレーは1936年にご存知OHVのナックルヘッドを発表。素材を見ればシリンダーとシリンダーヘッド、ピストン、ピストンリングに至るまでがすべて鋳鉄製である。これは、すべてのパーツを同じ素材で統一すれば、熱で膨張しても均等な割合で変化するため、空冷でありながら水冷エンジンのようにバランスの取れた効力を発揮すると考えられたためだ。

しかし、結果的にはその構想によりヨーロッパ勢に先を越される形となったわけだ。具体的に言うと、ナックルヘッドのエンジン回転数が上がるほどにシリンダーヘッドの放熱性が間に合わなくなり、場合によってオーバーヒートを起こすという問題に直面したのだ。また先の、軍用モデルWLA750ccの一部にアルミヘッドを使ったところで、トータルでメカニズムを煮詰めてはいなかったために、アルミ本来の素材の旨味を十分に引き出すことが出来なかったのだ。

ドイツで抜きん出た存在のBMW

とは言え、アメリカは元来、エンジン開発の技術は自国ではなく、バイク産業の盛んなイギリスから学び、当時最先端のマシンを手がけていた。そして1940年代頃までは、ほとんどのバイクのシリンダーヘッドはストーブなどと同じように鋳鉄材を使い、それを当たり前としていたのである。

しかし、イギリスやアメリカの手法とはまったく違う次元で開発を進めていたのがドイツであった。彼らは1930年代からすでに、鋳鉄材ではなくアルミに着手してシリンダーやピストンの研究を行っていたのだ。そのメーカーが、BMWである。ドイツ国内にはいくつかの二輪車メーカーがあったものの、BMW以外はパッとせず、というよりも、BMWが抜きん出た存在であったために他が話題に上がることはなかったのだ。

パンヘッドにはドイツ車の技術が生かされている

ドイツに遅れた技術レベル

BMWの本拠地は、アドルフ・ヒトラー率いるナチスと一緒であった。そうした環境下からか、当時ドイツ陸軍の技術サポートを行い、その中で新素材やテクノロジーの開発を実施。オリジナリティの高い二輪・四輪を生み出していたのである。

シリンダーヘッドにアルミ材を使うメリットはレースシーンでも実証されていたが、実は当時、イギリス人の間ではデメリットの方が大きいと考えられていたために鋳鉄材が用いられていたのである。そのデメリットとは、アルミ材は高温になったときの熱処理や合金成分を入念に研究しておかなければ溶け出してしまう。つまり、エンジンそのものが溶け出すかもしれないと考えられていたのだ。イギリスやアメリカはその研究レベルがドイツに遅れを取っていたために、市販車にはアルミを採用していなかったのである。

アルミ材の有用性

その点、ドイツのアルミ材の導入は早かった。というよりも、カメラやロケットに至るまで、最新鋭の技術で世界をリードしていた存在だったので、アルミに対するノウハウも当然進んでいたわけだ。なにせそのタイミングですでにアルミフレームの二輪車があったのだから、その技術レベルの高さが伺えるだろう。

また、第二次世界大戦中の移動手段を見ても面白い発見がある。例えば、ドイツは連絡手段用として2サイクルの125ccバイクを使い、戦車の換わりに750ccのサイドカーを用いていた。一方アメリカの場合は、連絡用に750ccのWLAや、4WDのジープを使用。この両者の違いはどちらが良い悪いではなく、あくまでも合理的な面で見ればドイツの方が利にかなっていることが分かる。そしてこの精神が、ドイツの技術面においてのバックボーンとなり、唯一無二のプロダクトを生み出すことにつながっているのだ。

ドイツDKWを真似したのがハーレーSモデル

そんななか、レースシーンにおいてもアメリカが興盛を極めるなか、徐々にヨーロッパ勢が力をつけてきたのである。そして、1938年のマン島TTレースで遂に、BMWのマシンが1位と2位のワンツーフィニッシュを果たす。それまで1911年のインディアンから、その後イギリス勢が独占していた首位の座を華麗に奪い去ったこの出来事は瞬く間に世界中に広がっていった。

そして、世界大戦が始まる直前のレースでも、ドイツのBMW、イタリアのジレラ、イギリスのブラフ・シューペリア、そしてハーレーが競っていたが、もはやドイツ車に対するイギリス・アメリカの技術レベルの劣り具合は歴然であった。

こうして、嫌でもまざまざと見せ付けられることになったドイツの卓越した技術だが、こともあろうか、世界大戦が終わった後になると、イギリス・アメリカ車が模倣していくのである。鋳鉄からアルミパーツに変更し、油圧ダンパーや電装パーツに至るまで、バイクに関してはほぼすべて真似したモデルも見受けられた。

harley 125S
1948 HARLEY DAVIDSON 125S

大戦中、大活躍した今はなきドイツのDKW社製RT125などがそれに当たり、世界中で完全コピー車が出回ったのである。もちろんハーレーも例外ではなく、1948年に38年型のDKWをそのままSモデルとしてリリース。小排気量の2ストローク車として、今でもマニアの注目を集めるマシンだ。

パンヘッドのメカニズム

BMWに倣ったオイルライン

panhead cover

世界大戦が終わり、ドイツの技術を余すところなく吸収しつつ、満を持してアルミヘッドのパンヘッドが登場するのである。「鉄のこぶし」を思わすナックルヘッドのメカニカルな力強さに対して、「なべ」の愛称を持つパンヘッドのルックスはどこかやさしく、スマートなイメージであった。その登場は1948年で、初年度のスプリンガーフォークを装着したモデルは、ナックルヘッドからの過渡期のマシンともいえ、ファンの間ではパンヘッドらしさが現れたモデルは翌年の49年のハイドラグライドからだとも言われている。

ナックルヘッドの特徴的なオイルラインは、エンジン内ではなくわざわざ外に設けたパイプラインを介したもので、潤滑が確実ではあるが、かなり古典的な手法をとっていたのである。しかしパンヘッドではそのオイルラインがエンジン内に通されることになった。つまり、シリンダー内を貫通させたラインを通る構造にして、機能的にもデザイン的にもベストな手法がとられたのだ。ちなみに、このシリンダー内にオイルラインを通すという発想はBMWから頂いたものである。

「なべ」形のパンカバーは、一見ただのフタに過ぎないが、実は耳障りなタペット音を消音させるのにひと役買っているのだ。しかし、カバー内のオイル潤滑面に関しては問題があり、1948年の初年度だけでなんと3回も改良が加えられているほどだ。このようにパンヘッド時代にオイルラインの経路や循環などを徹底的に研究したために、後継モデルのショベルへッドの販売にあたって特別大きな問題もなくスムーズに開発が進むことになるわけである。

主要モデルのスペック

スペックに関しては、クランク系が1941年の1200ccリリース時に強化。その後1954年までは大きな変更点はない。

61系Eモデル ・84.1×88.9mm
・1000cc
・36~38ps / 4800rpm
※スポーツスターKモデルのデビューする51年まで生産
74系Fモデル ・87.3×100.81mm
・ロングストローク1206.7cc
・46ps / 4600rpm
FLH DUOGLIDE
1958 FLH DUO-GLIDE

1955年からは、FLの圧縮比:7.25、FLHの8というハイコンプ仕様がラインナップに加わり、それぞれFLが55ps、FLHは60psというそれまでのモデルを凌駕する高出力化が計られてエンジンの各パーツも剛性がアップされた。