ハーレーショップ フリーウェイ Free Way 水谷研一 Kenichi Mizutaniのインタビュー

Free Way

水谷研一 Kenichi Mizutani

April 14th, 2019

創業1986年。まだ国内では数えるほどしかハーレーショップがなかった黎明期に、大分で産声を上げた『フリーウェイ』。機械加工だけでは成し得ない、作り手の温もりを感じさせるかのカスタムバイクや、広範に渡る技術力で、九州のフリークを強力にサポートしてきた歴戦の古豪である。

代表の水谷さんがバイクを手にしたのは高校卒業後で、皆がバイクを離れて車に興味を持ち出したのがキッカケだと言う。幼い頃から群れるのを嫌い、孤高を愛した氏はその後、バイクを一時離れて音楽の道へと進み、単身東京へと上京。しかし、音楽界の汚い世界が肌に合わず3年後に地元大分へ戻り、同店をスタートさせた。

当時まったくの独学で始めたものの、何かと気にかけてくれる目上の人たちの支えもあって、その認知度は徐々に波及。そして、持ち前のカスタムへの感性の高さと進化し続ける技術力も後押しして、いつの日か、『フリーウェイ』の名は九州から全国へと飛び火してゆく。

ハーレーショップ フリーウェイ Free Way 水谷研一 Kenichi Mizutaniのインタビュー

月1の定期ツーリングと
年に数回の泊まりを30年

ー 今日はいろいろ聞かせてください。ではまず、多感な少年時代から。
(笑)。自由が好きな少年。
ー いろんなところへ行ったりですとか?
そうそう。あとね、こういう仕事してると昔は暴走族とかのイメージがあったりするんですけど全く群れるのに興味がなかった。音楽やっててもバンドでみんなでするのに興味がないんですよ(笑)。
ー ソロ活動(笑)!
なんかグループとか集団に属するのがダメなんです。ルールが嫌いなんですよね。だからね、スポーツもあまりやらないんです、ルールが多いから(笑)。
ー そこですか(笑)。
でも体動かしたりするのは好きなんですよ(笑)。
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ー なるほど。じゃあバイクも一人で乗られるんです?
いや、それだけはもうこの仕事してから、ずーっといつもみんなと乗るんですよ、半分仕事ですから。まあ休みとかその辺はなるたけ一人で乗るんですけどね。この仕事し出して月に1回は定期ツーリングやってるし。
ー 月に1回も!?
そしてね、最近でこそ行かなくなったんですけど、年に3、4回ぐらいは過去30年間ずーっと、2泊とか3泊ぐらいでみんなでいろんなとこ行ってたんですよ。
ー 30年間!?
30年(笑)。
ー 毎年ですよね?
毎年というか年に2、3回。それを30年間。だからまあ自分の中ではバイクはみんなでいーっつも乗るんすよ。
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楽曲だけを提供して
印税で暮らしたかった(笑)

ー そもそもなんですけど、バイクに興味を持つキッカケは何だったんです? やっぱり周りの?
いやいや、高校の時なんかはみんなバイクバイク言うときは自転車だったんですよ。
ー 逆にみんなが乗るから?
そうそうそう。でみんなが車に行き出した時にもうバイク(笑)。
ー 美しいです(笑)。では初めてのバイクは?
一番最初は原付のMR50ってやつで、次に買ったのがXSの250なんですよ。それがたまたまアメリカンで18ぐらいの時ですかね。でもそこからずっとってわけじゃないんですよ。それを自分で2年ぐらい結構改造して乗ってて、でもそれはそれで自分の中で終わったんです。
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ー バイクが終わった? 一度離れて?
まあそこからバイク離れて、ほんとはミュージシャンになりたかったんですよ。
ー おっと(笑)。ソロのミュージシャンです?
うん。まあミュージシャンも歌いたかったとかそんなのじゃないんですよ。本当は提供する方になりたかったんです、歌作って。で田舎の方で、夢としては楽曲だけを送って印税で暮らすっていう(笑)。
ー エッ(笑)。
でまあ(笑)、そのキッカケを作るために東京行ってやってたんですけど、ちょうどなんか音楽界の汚い世界を見て。それで嫌になって東京から地元に帰ったんです、ハタチぐらいから22ぐらいまでかな。2、3年はいましたね。一応プロダクションにも入って、そこで主催するライブハウスとかで自分で歌ってやってたんですよ。
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お好み焼き屋だと
ひとケタ足りなかった

ー それで戻ってきたと。そこからバイク屋ですか?
とりあえずね、東京で音楽をしながら運送でバイトもして一応金を100万貯めたんですよ。とりあえず貯めて、それを元手に大分帰った時になんかやろうかと思ったんですけどね。まあその時ぶっちゃけな話、お好み焼き屋やろうと思ったんですよ。
ー おぉ、いきなり変化球です(笑)。お好み焼きが好きだったから?
まあ10代のころ別府にお好み焼き屋があって、そこ、お客さんに混ぜらせて焼かせてて、だから腕も何もいらないなと思って(笑)。勝手にお客さんが焼いてくれてなれるんだったらお好み焼き屋いいなと思って(笑)。
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ー 店さえ開いちゃえばあとはお客さんにお任せで(笑)。
そう、漠然とお好み焼きやろうと思って100万持って大分帰って来て、それで不動産屋のとこ行ったんですよ。たら当時バブルがぎりぎり残ってる頃で、ひとケタ足りませんよって(笑)。
ー 握りしめた札束が。
これ困ったなと思って。そっか100万ぐらいじゃ何も出来んのかと思って、でとりあえずぶらぶらするわけにもいかないからタクシー乗ったんですよ、半年間。
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ー 運転手さんですか。
うん。でその間にね、次何しようかなって考えて、そしてその時にふと思ったのが、10代の頃バイクいじってて、その時南海部品というのがあってですね、そこの店長が気楽そうで、しかも僕より技術も大したことなさそうなのに食っていけてたから、ああバイク屋やろうかなって(笑)。
ー 分かります分かります(笑)。
でもバイクの知識というか、バイク屋で働いてたわけじゃないから根本的なのがないんですよ。それで大分のレッドバロンが募集をかけてて、ちょうどいいわって、そこで何年か勉強しようと思って履歴書出したら落ちたんですよ(笑)。
ー あぁー(笑)。
もう、そんなやったらバイク屋やりながら勉強しようと思って(笑)。
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テレビ局の人と知り合って
新聞記者を紹介してもらった

ー 最初はどういう車種を扱ってたんです?
とりあえずは何でもするんですよ。こう中途半端な知識が逆にないから、これしちゃいけんっていうのが分からんかったけんね、来る仕事はなんでも受けたんですよ(笑)。
ー 当然スタートしてすぐはいろんな苦労があったと思うんですけど、その中でも一番印象に残ってるのは?
ああそうそう、僕運が良かったんです。タクシー乗ってる時にね、たまたま大分のテレビ局の人を乗せたんですよ。昔は若くてタクシー乗る人っていなかったから、兄ちゃん若いにタクシー運転してがんばるな、ってよーく声掛けられたんです。
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ー ええ。
でね、もうバイク屋しよう思ってた時に、もう辞めるんすよとか言って、何するん?ちゅう会話で、いや今度はこういうバイクの改造ショップやろうかと思いましてね、って。そしたらそれ面白そうやなって、本当にやるんやったらここに連絡しろって名刺もらっちょったんすよ。TOSっていってテレビ大分の。で店を始めたんです。まあそれがメチャクチャうさんくさい店やったんですけど。
ー (爆)。
お客さんがガラッて入ったら「しまった!」って顔するようなね(笑)。もう最初はほとんど誰も来ない状態なんですよ。で始めてから2週間ぐらい経ってその時のことを思い出したんです。それで電話してみたら、じゃあちょっと待っちょけよって今度は地元の大分合同新聞って所の記者を紹介してくれて、いきなり取材が来たんです(笑)。
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ー 地元の新聞なんてムチャクチャ反響があったんじゃないですか?
あるんです。しかもね、両面見開きでこれぐらい(※両手を広げて)載ったんですよ。でそっからね、お客さんが次々と来出したんです。そしてなんかこう、インチキくさい仕事ながらも(笑)。
ー いやいや、それは今思うとですから(笑)。
まあこういうショップがあるわけでもなく、当時は後で雑誌とかに載り出しても全国でハーレー屋が10件ぐらいしかなかったんですよ。で運が良かったのもあって。あとはお客さんが年上の人が多かったもんで可愛がってくれたんですよね。
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道糞でDou fun
それが彼の名前(笑)

ー 次は水谷さんの愛車についてですけど、今日乗ってもらったあれは?
42年式のWLAなんですけどね。エンジンとかもいじってないです、もう普通に。30歳からですからね、もう27年乗ってます。
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自分の中の黄金比
気を付けるのはそこです

ー 話は変わります。フリーウェイの作るバイクは手作り感のあるどこか温かなイメージがあります。水谷さん的には自分の店のカスタムスタイルってどんな所だと思います。
まあ一品作りじゃないですけどね。敢えていろんなパーツを作る時も、いろんな工作機械を使っても、NCだけじゃなくて、半分人の手と半分機械の融合みたいな。そういうのが好きなんですよね。
ー だからやわらかい曲線も表現出来るし。
あんまり機械だけで作ったみたいなのは好きじゃないんですよね。魅力を感じないんです。凄いハイテクみたいな物よりも、ちょうど機械と人間が無理なく融合したみたいな。
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ー ちなみにカスタムする時に気を付けてる所ってあります?
それは自分の中の黄金比ですね。トータルバランスっていうか、でもね、そこはね、その時カッコ良いと思っても後で見たらそうでもなかったなとか、この角度は良いんだけどあっちの角度はパッとしないなとか。自分の中で100パーセントなんかないですね。
ー その黄金比を出すのだって、すんなりいく場合といかない場合がありますよね?
あります、頭の中で考えたらダメですね。現物にあててみる。お客さんがそこまで求めてなかったりしても自分の中でなんかやってしまうんですよね。
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トコトコトコトコ
僕はそれで良いんですよ

ー その『やる』という部分なんですけど、フリーウェイはカスタムからエンジンまで全部やるじゃないですか。具体的にはメッキ以外はほとんどですか。
まあそうですね、基本的にはボーリングホーニングも。
ー 外注に振らないことはイコール、その分責任も増えることじゃないですか。でもそこを負ってまでやるというのは、やはり最後まで面倒をみたいという。
まあそれもありますしね。あの、凄いチューニングバイクを作るんだったらね、正直言ってうちなんかじゃ無理なんですよ。でもメチャメチャ速いバイクに興味はないし、まあ生活の一部の足で、トコトコトコトコ行けばね、僕はそれで良いんですよね。
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ー 本来はそれぐらいが一番気持ち良いもんです。
もっと速くしたいとかね、そうするとそこで絶対デメリットが出てきますから。だから日頃の足に使ってなんか不具合があればそこを直していくっていうぐらいであってね。
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信頼するスタッフの
一体感が生む安定感

ー フリーウェイで僕感じるところがあるんですけど、スタッフの人がみんな歴が長いじゃないですか。すごい定着率というか一体感というか。
ハハハ(笑)。
ー みなさんそれぞれどれぐらいいるんです?
彼(※小野さん/写真中)はね27、8年はいるんじゃないですか。あいつ(※山元さん/写真右)も20年ぐらいはいるんじゃないかな。彼(※森本さん/写真左)ももう10年ぐらいは経つのかな。
ー その定着率の秘密を教えてもらえないですか?
別にないですよ(笑)。居心地が良いかどうかも自分では分からないですから。
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気になったら
何度でもやり直す

ー あの、水谷さんの仕事のモチベーションって何ですか?
やっぱね、自分が納得する物を作らないと達成感がないんですよね。だからまあ、その人が何か言うわけではないんですけど、ちょっと自分が違うと思ったらやり直しますね。でもそれが全てのバイクじゃないですよ。任されて作るやつとか、ちょっと気になったりしたらとりあえずは何回でもやり直しますね。
ー やはり元々物作りの人であって、当時100万にもうひとケタ足りなかったのは大正解で、お好み焼き屋をやらずに良かったと思います(笑)。
まあ今思うとですね(笑)。そうかもしれないですしね。
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仕事が楽しくなければ
人生の半分は捨てたもの

ー ではそろそろ締めさせて下さい。水谷さんにとってカスタムバイクって何でしょう?
まあ名刺っていうか、僕はこういう仕事してますっていう代名詞ですよね。考え方としては仕事してる時間が人生一番長いと思うんですよ。変な話、従業員といる方が家族といるより長いですしね。
ー だと思います。
それは従業員も同じで、家族といるより僕といる方が長いですからね(笑)。ある意味家族より深かったりもするから、そこは家族より長く付き合ってるんだってなんかあれはありますよね(笑)。仕事というのが楽しくないと人生の半分は捨てたみたいなものですから。
ー 今後は何か新しいことをする予定とかあるんですか?
いや、ないですね。逆に何かをするんじゃなくて、いまやってあまり面白くないことを排除していった方がその分面白いことが残りますから(笑)。

FREE WAY

フリーウェイのショップ外観
住所 大分県大分市牧3-12-19(Google MAPを開く
電話 097-558-3587
FAX 097-558-3587
SHOP FREE WAYのショップ紹介
営業時間 9:00 ~ 18:00
定休日 月曜日、第1・3日曜日