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山口隆史 Takashi Yamaguchi
INTERVIEW
October 31st, 2019
SRのカスタムフリークの間では抜群の認知度を誇るショップである。店主山口さんの男っぷりの良い人柄を慕い、若手からベテランライダーまでがこぞって同店に足を運び、また、その人気は今や東南アジアにまで飛び火。インドネシアやタイのカスタムショーにゲストで招待されるほどである。
いつだって人垣の中心で豪快な笑い声を響き渡らせる氏がオープンさせたのは2011年のこと。以来、積極的に国内のカスタムショーに出展し、いち早くインスタグラムやYou Tube等のSNSを使ったピーアールを駆使することで瞬く間にその名はブランディングされていった。
そしてカスタムばかりか、オリジナルパーツの展開も待ったナシだ。『簡単に潰れない物』を心掛けて開発されるパーツ群はファンの心をがっちりと掴み、ウェブストアの商品は常にクイックに回転している。
そんな広範な視野でファイティングポーズをとり続ける山口さんの半生を、インタビューを通じてトレースしていきたい。
族車指定にされて
次捕まえたら没収やって
ー ではまず、うんと昔の話からお願いします。バイクに興味を持つようになったのはいつ頃です?
■ バイクに興味もったんいつやろ? 中学っすよね(笑)。普通になんかやんちゃしてると盗みに行ったりするじゃないですか(笑)。
ー いやいや(笑)、まあ26、7年前はそういう時代だったかもしれないですけど。
■ まあ普通ですけど(笑)。ボクらん年だとどっかの原チャリぱくりに行くって遊びの一貫すね(笑)、で単車は最初に手にいれたんがビラーゴ250。先輩から。
ー 原チャリじゃ物足りなくなって。
■ それ17、高校2年の頃すかね。自分でイジってたんですけど、最初リアフェンダーが無くてナンバーとか付けてなかったんすよ(笑)。で走ってたらおまわりさんに怒られて。
ー もちろん(笑)。ナンバーは持ってたんです?
■ ナンバーあったんすけど、社外のリアフェンダーがなんか折れて、付かへんからまいっかと思ってそのまま。
ー 間違いないです(笑)。
■ ハハハハ(笑)。それからおまわりさんに族車指定にされて、次捕まえたときは没収やって言われて、嫌やったんでフリマみたいなとこでハーレーのリアフェンダー適当に買ってみて付くかなと思って付けて(笑)、それで乗ってたって感じです。
ディーラーが夜8時に終わって
そこから朝まで毎日バイク作り
ー 高校はビラーゴで遊んでそこから大学に進学。その後に就職でしたよね。
■ 就職は近くのチャックボックス(※滋賀県大津のSR系ショップ)って所です。大学の時にバッテリーとかキャブのインナーパーツとかをよく買いに行ってて、2回(2年生)の半分ぐらいからそこの作業が面白いってことでボクただ働きの丁稚奉公に行ってたんすよ。
ー 在学中から?
■ はい、夏ぐらいから面白くって、そこでただ働きで仕事教えてもらえるっていうので。それでそのまま。大学なんか籍置いてるだけで行ってないようなもんやったんで、そこで毎日バイクいじって。
ー 最終的に大学は卒業して?
■ しました。それでチャックボックスでまる5年すかね。大学卒業してから5年で、丁稚奉公の期間は2年半ですかね。
ー その後ゾン(※カスタムショップ『カスタムワークスゾン』)に1年弱ぐらい行って、ハーレーのディーラーへ。
■ ボク部品製作業とかカスタム屋ばかり行ってたんでマジの整備を覚えたいと思ったんですよ。で京都でも一番厳しいって噂のハーレーディーラーに雇ってくださいっちゅって行って、そこで2年半ぐらいかな。アイアンホースファクトリーってとこです。
ー ディーラーでメカニックを経験してしっかりと整備を学んだわけですね。
■ その時に、ボクおじいちゃんの農機具小屋に溶接機とガスとサンダーとドリルだけ置いてバイクイジりをしてたんですよ。ディーラー勤めながら夜にずっとバイク、それまでもずっとやってたんですけどいよいよオーダーが山ほど入ってきたんですよね。で毎日ディーラーが8時に終わって、1時間かけて農機具小屋に行って、そっから朝3時4時ぐらいまで毎日バイク作り。
ー それでもう自分でやった方がいいと?
■ そうっすね、子供も生まれてたし、ボクにバイク作って欲しいって人が友達周りとかあまりにも多すぎてこの生活3年続けても今のオーダーはけませんってなってきたんですよ。当時はもうほんまにカブからハーレーまでなんでもやりますっていう。
お金がないから柿の種
それを毎晩半分ずつ食べてた
ー そこから2006年にベリーバッズを立ち上げて、2011年に山口さんはパートナーと離れてツーパーセンターをスタートさせたという流れでしたね。じゃあ山口さん、ショップを立ち上げたばかりの頃の苦労話を聞かせてもらえますか?
■ (※不敵な笑みを浮かべて)。
ー へ!?(笑)。
■ いやそんなん大変すよ(※トーンが上がって)(笑)。お客さんの目から見たら華やかな仕事に見えるか知らんすけどなんせお金が無いっす。ベリーバッズ初期もツーパーセンター初期も一緒ですね。だいたいその、しょっちゅうあったんが財布に1000円入ってませんと。で車のガソリンはEメーターを振り切ってますと。でも出来た車両積んでお客さんのところに行かなきゃいけないです(笑)。
(※ここでスタッフが神妙な顔で登場)
山口■ オッ、おまえどうしたん?
太陽■ なんかアダチ君頭から血が出て。
山口■ ハハハハハ(※すごい楽し気に)、なんで(笑)、にきびかいたレベルやろ? ちゃう(笑)?
太陽■ 2センチぐらい結構切れてる。
安達■ 棚作ってたら倒れてきたんすよ……。
山口■ あっ! 棚作ってたんや、ありがとありがと。アポジカ(※ちなみに育毛剤)やっとけ!
安達■ 今やったらガンガンしみる。
山口■ ガハハハハ(爆)。
(※スタッフそのままフェードアウト)
■ すんません(笑)。それでほんまに片道切符で納車いかなあかんとか、ガソリン片道切符でお客さんからお金もらへんならおしまいやみたいなとかもしょっちゅうでしたし、だいたい晩御飯とか食えなかったんで。
ー もはや笑えるレベルじゃないですね。
■ で(笑)、柿の種100円で売ってるじゃないですか、あれお腹膨れるんでそれを毎晩半分ずつ食べる、ブハハハハハハ(爆)! めちゃくちゃでしょ、ブハハハハハハ(爆)!
ー それは安くし過ぎたから? それともお客さんの支払い的な問題で?
■ 安くし過ぎたっす。名前売りたかったんで台数作って。安くないと無名のショップなんかおっきいオーダー入るわけがないんで。
好きな仕事やって貧乏たれてる
それじゃあままごとだし無責任
ー そこから徐々に立て直していったと?
■ 徐々に、いや、でもね、カスタムだけじゃ永久にこの生活になるなと思ったんすよ。だからまあ部品とかを始めなきゃいけないなと思って、オリジナルパーツの製作始めて。それもね、試作代とかほんまに結構苦労して捻出したもんなんすけど。
ー それはカスタム作ったお金をなんとか貯めていって捻出したんです?
■ そうですね。で少しずつ少しずつ部品を増やしていって、で一定の時期になるとまあちょっとましかなって。多分この仕事、他のサラリーマンさん達よりも自分の時間も収入も15年ぐらい遅れてると思うんすよ。
ー 15年ですか。
■ スタート地点が低いんで。まあそれをなんとか好きな仕事やって貧乏たれてる。一見美しいかもしれないすけどただのままごとじゃないですか、しっかりお金かせがんとダメやし自分が潰れる。自分が潰れるんが一番お客さんに対して無責任って思うんすよ。だから絶対その頃はもうちょっと浮かび上がらんとなとは思ってたすよ(笑)。
お客さんを待たせることは
犯罪級にダメなことだと思う
ー そうするとやっぱりオリジナルパーツの展開が転機になったんです?
■ うーん……。
ー パーツをやることによって良い方向に進んでいったんですよね?
■ そうですね。
ー そのパーツについて、どんな商品を手掛けようというコンセプトみたいなものってあったんですか?
■ もちろんその、潰れない物ですよね。頑丈で長持ちしてずっと使える物。やっぱお客さんが一番嫌だっていうのが出先でのトラブルとか、今日乗ろうって決めてる日に部品の破損とか故障とかで乗れないこと。それってすごい辛いと思うんすよ、でまずは潰れないことですよね。
ー あとツーパーセンターのウェブストアは自分の所の商品だけじゃなくて他のショップの商品も扱ってるじゃないですか。これって何か特別な思いがあるんですか?
■ 単純に、仕事を早くするためですね。
ー えっと、もうちょっと掘り下げて教えてもらえます?
■ これ詳しく言ってくと、まず大前提に、お客さんを待たせるっていうことはもう犯罪級のダメなことだと思うんですよ。理由は各ショップにそれぞれあると思うんですけど、自分が特にダメだなと思うのは自分のエゴで「こう作りたいから待ってくれ」とか。
ー ええ。
■ 「でも作る時間がないから待ってくれ」、「こっちはアーティストだから案が出るまで待ってくれ」、てのはダメだと思うんです。お客さんみんなってすごい限られた時間の中でバイクに乗る時間作るんで、それを当たり前のように何年も待たす。僕も最初の頃そんな時期があったんですけど、これ絶対ダメだなって。
ー だから他のショップの商品も使って仕事を早く進めると。
■ 本当は全部自分で開発した商品でやりたいんですけど、作れる物作れない物、それ技術的な問題も資金的な問題もありますし。
部品やるメリットは
図面で想像が出来ること
ー なるほど。そこから派生してヘルメットとかのギアも扱うように?
■ そう、どうせならカッコ良く乗って欲しいと思うんで(笑)。あとは部品に関してなんですけど、手作りでハンドメイドで凄い作り込みっていうのって、これ悪い言い方したら鉄工所経験があれば出来るんですよ。時間作って削り込んで溶接で盛ってまた削ってって。
ー ビジネスとして見たらそんなに時間もかけられないし。
■ はっきりいって時間さえあったらある程度は出来ると。ただ部品やるメリットって言ったら、図面でそれを見ることが出来るんで修正が効きやすいっていうのと、実は図面で見たら「ここ肉薄だな」、「こっから折れるな」とか。あとパソコン上での簡単な破壊検査も出来るんすよ。この厚みならどこから折れるなとか。そういうことがワンオフにもフィードバックできるんですよね。
個性出すことにビビらず
楽しく生きようって伝えたい
ー パーツ開発や販売、インスタグラムやYou Tubeなどいろいろやられてますけどツーパーセンターの最大のウリってどんなところにあるんですか?
■ 最大のウリ(笑)。エーッ、なんだろう、いやボクが走るんが好きなんで、疲れなさとか耐久性とか使いやすさとか操作のしやすさっていうのはちょっとのことで変わるじゃないですか。そこを結構煮詰めてるつもりなんですよボクなりに。だから走りやすくて耐久性があることがウリってことですかね(笑)。
ー ちなみに山口さんの目指す先って何があるんですか? ぼんやりでも良いですし、実はこんな目標があるよっていうのがあれば。
■ これめっちゃ深い話になっちゃうすよ。じゃあまあ人生的なことを言うと、ボク昔から思ってたんですけど、ひとが素直に思うことを表現するのが凄いやりにくいじゃないですか日本って。
ー はい。右へ倣えって冗談みたいなことを本気で教えられるぐらいですから(笑)。
■ 画一的な人ばっかりが美しいとされてる国で多数決でモノが決まるんで。ただ若者たちが、例えばバイクをこういじりたいああいじりたいって、湧き出てくる熱い感情やと思うんすよ。それを大人のルールで、知識のルールとかでいやそりゃあダセエとか、それよりこっち付けろよとかいうのっておかしいと思うんすよ。
ー モグラたたき状態ですね。
■ だから個性を出すのに若者がビビっちゃってるんで、個性を出すことが反社会的ってなるんで。ボクはね、バイク屋っちゅうのはツールで、ボクはバイク屋しか出来ないからバイク屋やってるんですけど、それを通じて俺でも出来るんやから個性出すことにビビらず楽しく生きようよっていうのを若い子らに伝えたい。
承認欲求から来てるけど
今はみんな楽しければ良い
ー 山口さんの仕事のモチベーションってどこにあります?
■ モチベーションは……。
ー 家族ですか?
■ 違いますね。
ー 違う(笑)。
■ ハハハハハ(爆)。違う(笑)。モチベーションは、ボクその、コンプレックスから入ってるんすよ。コンプレックスちゅうかほんまにハミ出しもんだの不良だの言われてきたんで。で昔は作り手全盛だったんで承認欲求ですよ。俺を認めろと。俺を認めへんなら俺が作ったもん認めろっていうことやと思うんですけど、最近はその気持ちがちょっとなくなっちゃって。あの、みんな楽しけりゃそれでいいやんって思うんすよ。
ー マザーテレサ的な(笑)。でもみんな楽しむことが活力になるんですから、人間的な幅が広がったんですね。
■ 広がってんのか狭まってんのか分からんすけどちょっと違うチャンネルに行ったって感じですね。自分が成長したなとはあんまり思って無いですけど。
ー なるほど。山口さん最後に、今って何してる時が一番楽しいですか、幸せを感じます?
■ それは自由にバイクに乗れてる時ですかね、仕事がちゃんと出来た上で(笑)。なんか自分で納得いってへんのに遊ぶっていうのがボクだせえって思っちゃうんで。そのための努力をして大好きな北海道にまた走り行きたいですよね。
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