CUSTOM WORKS ZON
吉澤雄一(左)/植田良和(右) Yuichi Yoshizawa & Yoshikazu Ueda
INTERVIEW
June 2nd, 2017
国内のカスタムショーに出展するごとにアワードを獲得し、LA Calendar Motorcycle ShowやRAT’S HOLEといった本場アメリカの名立たるショーにおいてもその実力が認められた存在。また、今や東南アジアの一部のファンからはスター扱いされるほど過熱な人気を誇るショップである。
滋賀県蒲生郡の緑豊かな地に拠点を置くカスタムワークス・ゾンは、高校の同級生だった吉澤さんと植田さんのツートップで運営。元々バイク好きだった吉澤さんが、当時車に傾倒していた植田さんに声を掛けたのがキッカケだと言う。そして、以前の職場だった滋賀県のディーンで二人は’99年から働き出し、その後2003年に独立。文字通り二人三脚で力強く歩み続け、現在に至っている。
常に斬新な発想と、それを形にする確かな技術で話題をかっさらう同店は、人当たりの良い吉澤さんと人見知りの植田さんという対照的な性格が逆に見事なバランスを取り、二人のリレーションシップをより強固なものとしている。では、そんな彼らの『人生模様』を、ここで紹介したい。
認められるのに
とにかく必死だった
ー 吉澤さん、植田さん、お久しぶりです。まず、お邪魔する前にどんなアワードを取ってるのかホームページを見ておさらいしてきたんですけど、まあ凄い数ですね。掲載してるのが全部です?
吉澤■ まだあります(笑)。
ー もう数えきれないですね。
吉澤■ 昔は店のコンセプトとして各ショーに必ず新作を1台持って行くと言うスタンスでやってたんで。だから例えば、ムーンのホットロッドショーに行くんでもクールブレイカーが時期的に近くてもそれぞれ一台ずつ新作を出してたから、1年にだいたい5、6台フルカスタムを作ってたんですよ。
ー ショーカスタムを5、6台も!?
吉澤■ やっぱ勢いもあったし、寝ずに仕事してみたいなスタンスで。一番最初に何て言うのかな、ショーに行って売れたらみんなに認められるかなっていうのでやり始めたから、もうとりあえず必死ですよね。ショーが自分たちの営業じゃないけど、バーターだと思ってやってたのが最初だから(笑)。
じゃんけんで
社長を決めた(笑)
ー では、そもそもゾンを始めた経緯は?
吉澤■ えーとね、元々ゾンの前にディーンっていうバイク屋さんで働いてたんですよ。
ー はいはい、クールブレイカーにも出展してた。
吉澤■ はい。でまあ、その前は僕が日産ディーゼルのトラックを扱ってて、うえっち(※相方の植田さん)がJA勤めてて農機具とかトラクターのメカニックで、まあお互い違う仕事をしてた。
ー それは知らなかった。
吉澤■ で、日産ディーゼルで営業してる先の社長さんに声かけられて、同級生がディーン始めるから手伝ってやってくれないかって言われたのね。それで、そこに立ち上げスタッフとして入ったんです。でも一人で出来ないから、「ちょっと一緒にやってくんないっ?」て言ったら良いよって。
ー 植田さんを誘ったんですね。
吉澤■ そう。でも3年半ぐらい経って次第に経営者とうまくいかなくなって、うえっちがもう限界だから辞めるって言って、でまあ、俺も辞めようかなって。そしたらうえっちが自分でバイク屋したいって言うから、じゃあ僕がディーンに一緒に仕事しに来てくださいって頼んで3年半ぐらいやってもらったから、3年半は手伝うわって。それで新しい店を二人でやりましょってなって、2003年にやり始めたんがこの店。
ー 最初は植田さんが代表だったんですね。
植田■ まあ。
吉澤■ いや、それもほんと笑い話で、じゃんけんで決めた(笑)。二人しかいないから代表も何もないけど、契約したりするのはうえっちが社長でやってよって。
ー いつ代表が代わったんです?
吉澤■ なんかみんなに、いい加減お前がしたらって。
ー それも凄い(笑)。
吉澤■ 別にどっちが社長とか今でもあんま関係なくやってるけど、ただまあ形式上は代表になってるだけ。
28年一緒でも
喧嘩はほとんどない
ー 二人の出会いは? 確か高校の同級生ですよね。
植田■ そうです、15から一緒。
ー 今いくつです?
吉澤■ 今年43ですよね。
ー それでずっと聞きたかったんですけど、そんなに長く一緒にいればのっぴきならない喧嘩だってありますよね?
吉澤■ でもね、全然別のことしてるし、あんま関係ないっちゃ関係ない。ほぼ営業担当で外を出回ってるし。
ー でも吉澤さんだって店で手を動かしますよね。
吉澤■ 動かします。でも自分で分かってるから、これ出来ないあれは出来るって。例えば、一番苦手なのは配線。僕すっげえ処理が汚いのが自分でも分かるけど、うえっちがやればやっぱりA型でカチっとしてくれるから安心だとか。
ー それぞれ得意分野があるわけですか。
吉澤■ ありますね。
ー 植田さん得意なのは?
植田■ 得意っていうか、得意ってあんま考えたことないですけど………。
吉澤■ なんでも僕はできるって(笑)!
ー (笑)。
植田■ ある程度最低限はですけど……、でも難しいです。
ー じゃあ苦手なのは?
植田■ 苦手……。
吉澤■ あるやん(笑)!
植田■ 表に出るのが苦手ですけど(笑)。
ー (爆)。そんなに人と話すのが苦手です?
植田■ いやあの、人見知りして緊張してしゃべれなくなるんですよ。しゃべるのが苦手なわけじゃないですよ(笑)。
フルカスタムは
絶対二人で作る
ー では、なんだかんだ言ってもそんなに衝突もないということですね。
吉澤■ 最初の頃はありましたけど。まあお互い、例えば何か作るにしても、「ここをこうした方が」とかお互い譲れない部分ってあるじゃないですか。俺はこうしたいああしたいって。でこんなの作りたいって作ってみてもいや違うって。そこで、一体何が違うんだって、俺はお前の言ったことを具体化してやってんのにって(笑)、二人でぶつぶつ言いながら。でも多分そんなの聞いてないですよ。
ー (笑)。
吉澤■ うるせーよお前って感じで(笑)。黙っとけって思ってんねな(笑)。
植田■ 感覚がね、そりゃ人それぞれ違うから絶対無理ですよね(笑)。
ー まあそうでしょう(笑)。ちなみに、どういう分担で1台のバイクを作ってるんです?
吉澤■ 決まってない。
ー でもオーダーが入ります。そしたらまず、どんな形にしようって決めるじゃないですか。カタチ決めるのはどっちです?
吉澤■ どっちだろうな。
植田■ うーん。
吉澤■ 相談しながらやってるからどっちって無い……お互いのええとこ出し合ってる感じ。こんなしたんやけどどう思う? ああええやん、良い良い良い、こんなんしたいんやけどこれ良いやろうかって言って。
ー 基本的に二人で一台です?
吉澤■ 二人で一台。分担制じゃないから、完全に二人。
ハブステのナックルは
2016年のゾンスペシャル
ー では、昨年2016年のスペシャルマシンについて教えてください。
吉澤■ これはマイケルリクター(※ハーレーシーンの著名カメラマン)の「SKINNY&BONES(皮と骨)」っていうタイトルのエキシビジョンがあって、それ用に作ったバイク。インバイトしてもらって作ったものです。
ー 皮と骨の表現がこれで。
吉澤■ そうです。骨組みで作りたいなっていうので、前回りとかも全部骨格。あとは皮、タトゥーのイベントだったんですね、だから皮と骨。それで日本だし、和彫をイメージした鯉かなって大沢さん(※CHEETAH CUSTOM CYCLES.)に彫金してもらった。んでその後にブルックリンのケイノ君(※KEINO CYCLES)がやってるTHE BROOKLYN INVITATIONALに呼んでもらってニューヨークに持ってって、その後持って帰ってホットロッドショーに出したりとか。
ー 外装は?
吉澤■ 真鍮です。ブラスを、シリコンブロンズで溶接して作ってます。
ー そしてやっぱりハブステアリングがとびきりですよね。
吉澤■ このハブステアリングが一番やりたかったのと、あとはまあターボかな。
ー ここまで来るともう次元が違う感じがします。
吉澤■ 実は3回作り直してるんですよ。1回目はもう形だけ作ってアメリカ持ち込んで、そしたら輸送中にクラック入っちゃって。ニューヨークのケイノ君の工場でやり直させてもらったんですよ。でもそれでもダメで、とりあえず12月2日にロッドショーのために持って帰って出展後に全部やり直した。ショックの位置から全部やって、ハブも作り直して、でその3回目でやっと走るようになった感じ。それまでは恐くて走れなかったですから。すごい悩みながら、図面上では大丈夫なんだけどうまいこといかないですよ本当に。
命を削ってたけど
2007年に世界が変わった
ー これまでゾンをやってきた中で、キツイ時期はやっぱり最初の頃です?
吉澤■ はい、もうやり始めの頃。今はもう無茶しないですけど、昔はやってるのが偉いとか思って、「俺徹夜してバイク作ってんだぜ!」ってやってた。ほんと命削ってるような感じでショーに3台持って行ったりしてたから。
ー 削ってますね。
吉澤■ でも、もうあんなのはやめようと思って、結局やりたいことが分散しちゃうから。そんなんだったらやりたいこと1台にまとめてって変わっていった。それが本当に2007年のスタージスが終わって、ラッツホールでチャンピオンになってから。もう世界は変わりましたね。
ー 世界が変わった?
吉澤■ はい。それまでは日本のショーにもいろいろ行ったけどアワードを貰ったことがなかったから。でもそれで景色が変わって、みんなが、「ちゃんとやったバイク、認められるバイク作ってんだな」っていう風な見方に変わって来て。
ー 実力主義の国で一番最初に評価されたんですもんね。
吉澤■ はい、それが分岐点です。それまでは、「なんで頑張って作ってんのに誰も認めてくれない」とかやっぱいろいろ葛藤もあったし、なんであいつら寝てる間に俺こんな一生懸命仕事してんのにとかいろいろ思ってたけど。
ー でも一番良い形でやっつけたと。
吉澤■ 本当にあれで変わって、「そらアワード貰えないわ」って言うのも分かったし、今の若い子たちがゾンさんショーもらって良いですねとか、何々ですねとか言ってくるけど、お前らこっちと一緒のように頑張ってるつもりだけど俺らそれ以上に頑張ってるからね、っていう勢いでやってる。まあ二人いるっていうのも強いし。
ー なるほどですね。植田さんはどうです? 二人でやってるのは?
植田■ 精神的にも全然違いますよね。一人だったらいっぺん煮詰まって止まってしもうたら進まないじゃないですか。でも二人いたら気分的には全然違いますよね。相談出来るというのは全然違いますよ。
休みも取らないし
四六時中一緒だった
ー 基本的に二人はプライベートの時は何やってるんです? まさか一緒じゃないですよね?
吉澤■ プライベートも一緒だったんですよ。一緒にサーフィンしてて、もう四六時中一緒にいた(笑)。
ー そこまでとは!
植田■ 寝る時以外はほぼ一緒にいたんですよ。
吉澤■ まあ最近までうえっちは家庭持ってなかったから、もうずっとここにいるか、家の往復だけだったから。だからプライベートも休みもないし。結婚してから休みを取るようになりましたけど、それまでは家にいてもすることがないから休みも取らなかったし。
ー カスタムの申し子だから(笑)。
吉澤■ ここに居たらお客さんも来るし、しゃべれるし。基本仲良くなったらしゃべりたがりだから。お話し好き。
ー そうなんですか!?
吉澤■ ねえ、お話好きやもんな(笑)。
植田■ ……(笑)。
いちばん旬な時に
強いラインを作っておきたい
ー ゾンの将来のビジョンってあるんです。
吉澤■ それは完全に、海外視野ですね。
ー 海外ですか。
吉澤■ やっとまあ、自分で言うのもなんですけど、うちの店知らない人ってあんまりいないと思うんですね。ああゾンさんですかって。僕のことは知らないでもゾンのことを知ってる人はいっぱいいるし、今はもう本当に脂ものってるし。このタイミングでなんかやらないと、あと5年後に仕事が無くなってきてやったところで、もういいよって言われると思うんです正直な話。今までの流れを見ると。
ー そんなもんですか。
吉澤■ うん。やっぱみんな飽きが来るじゃないですか、だから一番旬な間に一生懸命種まきして、今の間にちゃんと強いラインを作っておけばあと5年後、もし落ち目になっても向こうでやってるから大丈夫だなって思えるようになりたいなって。じゃないと、もう体力的にもきついし、そんなにデザインも出てこないし。
ー ちなみにその国的にはどこなんです?
吉澤■ 東南アジアかなとは思ってます。アメリカで勝負するといってもまあ、「ああ良いバイク作って来たね」とは言うけど、「じゃあお前に頼むよ」とは中々ならないから。それだったら東南アジアの子たちはアメリカを見ずに日本のシーンを見てますから。それをやっぱ直に感じてるから、東南アジアで勝負かけたいなっていうのはありますね。
CUSTOM WORKS ZON