WILD ROAD CHOPPERS ワイルドロードチョッパーズ 阿部総次 Souji Abeのインタビュー

WILD ROAD CHOPPERS

阿部総次 Souji Abe

July 4th, 2025

優艶にして剛健。永年ロングフォークチョッパーと対峙し、その手から産み落とされる芸術性の高いチョッパーでカスタムシーンの頂(いただき)に君臨し続ける、国内無双のチョッパーファクトリーである。

本拠のある聖地仙台を目指し、全国からフリークが訪れるのは知られたところだが、それにも増して、ロングフォークに傾倒した同業プロフェッショナルたちを根こそぎ魅了してきた事実が同店の本質的な威光を物語っている。

アーティスティックなまでに作り込まれた『美』なるチョッパーはそれだけで圧倒的な存在感を放ち、更に、乗り手が合わさった時の見栄えは言語を絶するものがある。そうした、見る者に震えるほどの衝撃を与えるチョッパービルダーはごくわずかでしかない。

日本を代表する御大であり、年輪を刻んでもなおいぶし銀に拍車をかける『ワイルドロードチョッパーズ』。ロングフォークチョッパーの第一人者として今も現役でチョッパーを駆る阿部さんのこれまでの濃密な一本みちを、ここに記したい。

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ガキの頃バイクは
夢のまた夢だった

ー 今日はめったに語ることはないと思うんですけど、阿部さんが初めてバイクに興味を持った頃の話から聞かせてもらえますか?
おう。専門学校に行ったんだよ。島で育って、網地島(あじしま)っていうとこなんだけど。こっから牡鹿半島の金華山、網地島、田代島ってあってそこが中学校までしかないから、専門学校行こうかと思って整備学校に行くんだけど、そん時にみんなバイク乗ってたんだよ。先輩たちが高校卒業して入る専門学校だから。そうするとやっぱりカッコいいなバイクって。
ー なるほど。バイクに目覚めたのはそこからなんですね。
いや、俺も小学校6年の頃からカブとか乗り始めて(笑)。バイクでいつかは本土に渡り、島だから本土っていうんだよ、本土に渡ったらどこまでも行けるって。島なんか10分も走らないうちに端から端に着いちゃうから。これはつまんないと。もう本土行ったらがんがん走り回るぞと。バイクっていうのは俺にとっちゃもう夢のまた夢だったね。
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ー その夢が本土でかなうと?
それで16で大型免許取るんだけど、後にも先にも親父に買ってもらった、ねだって買ってもらったのはバイクだけっていうのかな。いろんな欲しいものあったけどバイクだけだったね親父に買ってもらったのは。
ー 何を買ってもらったんです?
ホンダのCL72っていう今で言ったら名車だね(笑)。それからあとは欲しい物は全部自分で買うようにしたんだけどね。
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そういう時代があったね
ほんといい思い出だった

ー アルバイトをしてです?
バイトっちゅうかそうだね、俺らガキの頃は食えない時もあれば、親と何年も何年も連絡もしない。携帯なんかない時代だもん、みんなそうなんだよ。しょっちゅう島に帰るわけじゃないし。だから親も心配してんだろうけど、こっちはこっちでなんか一生懸命やってるよね。頑張って生きてんだよね。
ー それでカワサキZとかにも乗るようになっていくと?
そうそうそう。そうだね、友達が持ってたやつもあって俺が持ってたやつはCL72。ま、とっかえひっかえで乗ったり。今日は俺これ乗って帰るみたいな。そういう時代があったね。それが18前だったと思う。ほんとあの頃はいい思い出だったと思うよ。楽しかったね。
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お前ろくなことしねえだろって
そこから家業のトラックだった

ー では、そこからどんな感じでハーレーに興味を持つようになっていくんですか?
俺が仙台出てきたのが17で、ハタチぐらいまでそんな感じで国産をとっかえひっかえ乗ったりなんだりしてた。でちょっと悪い道じゃないけどあのころ流行りの、だよね。
ー 骨太の誰もが通ってきた。
そう。で「みんなで走ろうかー」みたいな、仙台の新港に300台ぐらい集めてみたり(笑)。常におまわりさんとバトルをしてたね。そんなこいやで25、6歳になっちゃうんだよ。免許も取り上げられそうになって。まあいろいろこまいこと言うとやばいんだよ。
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ー 仕事はどうしてたんです。
もうその頃ウチで仕事してたんだよ、事業してたんだよね。上の兄貴が俺3人いるんだけど、その人たちがウチの仕事やるっつうんで結局俺に帰ってきてトラック回せと。おまえそんなとこにいてもろくな事しねえんだろって。ウチ来て仕事やれってきたのが25ぐらい。
ー まじめに家業をやれと?
でそっから俺帰った時にトラックを、島から持ってきた魚、活魚っていう仕事なんだけどそれを市場に運ぶわけだ。活かしたまんま。それで土日も仕事だからツーリングしてるやつらと出くわすんだよね。
ー それはくやしい。
お、バイク来たなって。かっこいいバイク走ってんなって。なんだろうなって。それに興味持ってある日、本見て知ったのがハーレーだったの。ああ俺これまだ乗ったことない、乗ってみようと思って買ったのが25、6の時だったかな。
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月給が4、5万のときに
120万のハーレーを買った

ー 初めてのハーレーは何を?
それは本で個人売みてえな感じの、石川県だったよね。石川県から取り寄せするんだけど(笑)。FXEってショベルだったけど。で当時金なんかないじゃん仕事したって。その歳で120万。当時の月給は4、5万かな。
ー え⁉ 4、5万の給料で120万のハーレーを買ったんです?
2年落ちぐらいのバイクだったと思うんだよ。でも金ないもんだから銀行に行くじゃん、金貸してくれって。相手は何すんですかって。いやバイク欲しいって。「えー!」って(笑)。いやお前ら銀行って金貸すところだろって、利子ちゃんと払うから貸してくれてもいいじゃんって。でなんとかそれ借りられたよね。それで乗り出してそっからどっぷりだったね。
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自分でイジり回してて
だったら店でもやるかって

ー なるほど。では、そこから『ワイルドロードチョッパーズ』を始める流れは?
まず、パーツ屋さんがない。それでバイク乗りの友達が何人かいる、仙台でもね。でそいつらと走るようになってある日一人が雑誌、これだよ、この『イージーライダース』の切り出しだったり『インザウインド』だったり、なんか薄っぺらなアメリカの本あったじゃん。あれを見て衝撃を受けたね。そっからだよ俺は。仕事しながら自分でいじりまわすわけだ。
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ー 仕事しながらというのは家業の活魚のことですよね?
そうそうそうそう。俺はまったくこっちの仕事じゃないから、チョッパーじゃないから。でもいろいろ俺も学校で習った溶接だったりなんか鉄鋼場に行ったり、あと製鐵所って石巻にあるんだけどそれ行って「うわーこうやって作るんだ!」って。もうでかいカマから真っ赤な鉄がこう「だーっ!」と飴のようになるんだよな。それで製品が作られるんだけど。
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ー 間近で現場を見て?
それを見て自分でイジるしかないと。本も出てないんだよ当時。バイブズなかったし。それで自分でイジり回していろいろバイク作ったりして乗り回してた。でそっから10年経ったんだよ。こんなんだったら友達がショップでもやろうかって言って始まったのが『ワイルドロード』だったんだよね。
ー いつごろのことですか?
1991年。そんとき俺は30超えてるわけよ。
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これじゃいつ死ぬか分かんねえ
だったら自分の好きなことやろうって

ー じゃあある程度一大決心だったわけですね?
そうだね。だからやっぱトラック回してて責任、やっぱ自分ちの仕事だと凄い責任があって休むに休めない。とにかく仕事はしなきゃないっていう使命感があって。でもある日、すーごいぴりぴりしてアクセル全開踏みっぱなしでトラック運転してさ、もう今日は死ぬんじゃないって思った時があったのよ。
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ー 阿部さんが運転していてですか?
そう。大雨の日。名古屋の四日市道路だったよ。みんな夜中でびゅんびゅんびゅんびゅん走ってて、俺も。土砂降りだよ。ワイパーこんなんで(※せわしなく指を左右に動かす)。なんか下から登って来てる車あるなって。荷物満載にしてそいつ俺の前に出ちゃったわけだ。
ー うわっ!
俺もう必死になってブレーキ「ぶわー!」って踏むんだけど、積んでるもんが水もんだから「ドドーン!」って後ろに来ちゃって、「うわー! ブレーキも効かねえ」って後ろ滑り始まったの。
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ー すべっ⁉
こっち3車線道路だったけどそっちばんばん来てるし、もうイチかバチかハンドル切ってかわしたんだよ。トラックでケツ振らせながらよ。おー、死ぬってこういうことなんだなって思ったね。そこから俺考えて、自分の好きなことやろうって。こんなんじゃいつ死ぬか分かんねえなって。
ー その経験があっての立ち上げだったんですね?
うん。そんなのが今まで3回ぐらいあったんだよね。まあだからこれじゃダメだって。もうちょっとちゃんとした暮らしをしなきゃダメだなって。まあなんか分かんねえけど挑戦しようと。思ってやったのがこれなんだよね。
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普通じゃないものを作り込む
もうやり過ぎもいいとこだよ(笑)

ー それでワイルドロードがスタートしたと。ちなみに阿部さんのチョッパーの世界観ってそのころ既に出来上がってたんです?
出来上がってたと思う。いろんな友達のもイジった、自分のも作った、いろんな形にしてみたって、まあこれはやるしかねえだろうと。やるしかねえっていうかショップもないパーツもない自分で作るしかねえっていうのがまずあったよね。
ー 阿部さんが考えるワイルドロードのチョッパースタイルってどういうものなんですか?
あの、基本はね、リジッドフレームのナックルとか昔のパンヘッド、あそこから全部来てると思うんだよ。だからあのライン。あのラインっていまだに変わってない。ちょっとロングになればそれに合わせたストレッチがかかるよね。だから基本は、俺が作るバイクっていうのはほとんど一緒だと思うんだよ。
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ー ワイルドロードのチョッパーは芸術性の高い作り込みで知られていますけど、こういう作り込みは自然とカタチになっていくものなんです?
それだと思うんだよね。だって最初なんかこう作ろうなんてのは漠然としかないんだよ。こまいとこ、例えば今日一日スプリンガーのこと考えてみようか。そしたときにフロントでなんかやりたいよねって、その時に普通じゃないもの、普通はこうだけどそうじゃないものっていうと、どんどんどんどん進化した考えというか作り込みになっちゃうと思うんだよ。やり過ぎもいいとこだよ(笑)。
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ド素人だったら良いけど
看板上げてたらNGだろって

ー その作り込みプラス、阿部さんのチョッパーは『走ること』も重要ですよね?
もちろん。それは大前提、外せないよね。それはもう当たり前の話で、キック1発でかかるってウチでは当たり前の話。
ー 走ることが大前提。
それはそう。それプラスだよね。それは当たり前の、もう根底にあるもの。ちゃんと走れる、それがあってのスタイルだから。
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ー 確かに、ステーひとつの作りを見れば普段から乗ってる作り手かどうかが一発で分かると言ってましたね。
そうねえ。いや、こんなんだったら簡単で良いよねって思っちゃうもんね。鉄切りっ放しで使ってますって。そうじゃないだろって、もうちょっとなんかないのっていう。その辺にぶんながってたやつでも部品になるんだったら手をぎっちり入れて1個の完成品になるというか。それはね、切りっ放し付けっ放しみてえなのはカスタムじゃないから。ほんとド素人のガレージビルダーだったら頑張ったねって言えるけど、一応ショップです、看板上げてんだったらそれNGだろって。
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ー いつからか、ガレージビルダーという言葉が良いようにひとり歩きしちゃってます。
例えばこれから作るやつも、今までもそうなんだけど、うちはタイラップは1本も使わないんだよ。配線も隠しいの、どっか留めたいんだけどだったらそれがちゃんと収まるようななんかを作りましょうって。そういう風に付けたり作ったりしてる。
ー そこまで徹底して初めて、ワイルドロードのチョッパーだと。
そりゃあ配線もタイラップで留めれば簡単だよ。でもそうじゃないんだからまずたわみがない作り。結局その1個1個の作りものが合わさった時に商品が、アートになったりすると思うんだよ。だから常にそういうことを考えてるね。
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そんなつもりじゃなかったのが
最高のパフォーマンスになってた

ー では次に、過去に海外のカスタムショーに出展されたことについて聞かせてもらえますか?
『オールドアメリカンカスタムショー』っていうのに一番先に出してて、スタージスはまたその何年後かだね。ポイズンパンプキンっていうバイクを持ってったのよそこに。今から26年ぐらい前、1998年かそこいらだと思うんだけど。
ー 初の海外出展でいきなりチャンピンを取られたんですよね。
そう、チャンピオン取ってグランドチャンピオンまで取ってる。そん時のエピソードがあって、「阿部さんなんかあそこでパフォーマンスしてきたら」って。どうすればいいのって。とりあえずぶいぶい走ってきたら良いんじゃねえって言うからOK分かったって。でもどうしようかなこれ、飛行機で運んできてエンジンもずっとかけてないじゃんって。
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ー 現地に着いてゆっくりバイクを触る時間がなかったから。
まあとりあえずかけるしかねえだろうなって、当時キック踏んでバン!ってやったら一発でかかっちゃってギャラリーは「オー!」って(笑)。これ走るしかねえかって、ジョッキーだからバン!ってケツぶわーって振っちゃって、「うわーまずい!」ってどっきんどっきん心臓が飛び出しそうだったよ(笑)。
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ー みんな見てるし後には引けないし。
そう。芝生の上ってすーごい滑るのよ。俺芝生の上なんて走ったことねえじゃん、それで「うおー!」ってなんとか止めなきゃと思って止めたんだよ。そしたらまた拍手「うおー!」って(笑)。
ー 当の本人の気持ちとは裏腹に(笑)。
いやいやパフォーマンスじゃないって、心臓が飛び出るって話で、そんなこんなで会場回って走ってんだけどそこにヘルズ(※ヘルズエンジェルス)がたむろってるわけよ。そこをぶわー!って走ってソーリーソーリーなんて言ってさ(笑)。
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ジェシーが俺んとこ来いって
そこからあのスタイルが産まれた

ー 聞くだけでも手に汗握る経験ですね。
あんときジェシー(※ジェシージェームズ)もいたしアレン(※アレンネス)なんかもいたんだよね。で俺が表彰式してる時にジェシーが人掻き分けて明日どうしても来て欲しいっていうわけだ。何言ってんだこいつって(笑)。それで通訳するやついたからなんか明日オフィスに来いって言ってるよって、じゃあOKって。
ー 行ってやるかと。
でジェシーのとこに行くんだけど、あの頃ジェシーもまだ発展途上で、何つかずどっちつかずのスタイルだったね。で、凄いでかい離れ小島みたいな工場地帯であいつ工場立ててたから、そこ入ってって待ってたわけよ。そしたらベンツのこんなペッタラコでぶーって来て、メシ食ってたって言うんだよ。
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ー 颯爽とクルマで登場して?
そう、まあたいしたことねえベンツだったね俺から言わせると。ちょっと型落ちしたやつ。まあジェシーは中2階のとこにある自分のバイクを俺に見せてどうすれば良いと思う?って。それで俺は困ったな、なんて言えば良いんだろうって。
ー 阿部さん的にはピンとこなかったから?
うん。あのさ、ジェシーさって。もっとアメリカ、カリフォルニア、ロングでしょって。そしたら「おおー! OKOK」って。それでウエストコーストチョッパーズのスタイルの方向性が決まったと思うんだよ。
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ショーなんて遊びで
二の次三の次なんだよ

ー そんな逸話があったんですか⁉ 阿部さんのアドバイスを受けて?
そうそう。あとそん時にフレームが一個あったんだよ。それで作ったのがそこから3年後ぐらいに出した水色のナックルが載っかったやつだったの。ほんであいつはそれにハーマンのフォークを付けてたんだけど、あれ失敗作だから。あいつ走ってカッコつけてやってるけどあれじゃあ風にあおられてきちゃう。あれ曲げ過ぎ、伸ばし過ぎ、角度付け過ぎなの。あのフォークって角度いらねえから。俺何台も作ってきてるから。
ー そのオールドアメリカンカスタムショーの後にスタージスに行くわけですよね?
そう。でもショーなんていつも遊びで二の次三の次なのよ。だからその次の年に行ったと思うんだよ。でトータルでだいたい3回ぐらい出してる。あと遊びに行ってるのも何度もあるんだけど。
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やっぱり走ってる時が最高だね
ほんとバイク好きなんだなって

ー 話は変わって、バイクチームの話も聞きたいんですけど、チームとしては年に2回ぐらいは欠かさずロングランをやられていると?
そうだね。ここんところコロナだとかなんだでやっぱり集まりも悪ければ、あと震災もあったりしてやっぱり同じ感覚では集まらない。自分のことしなきゃない、うちのことしなきゃない、そういう時には何年か休んだことはあると思うんだよ。でもなぜまた今盛んに走ろうぜ走ろうぜって来てるのか。それってやっぱり良いんだよな、みんな楽しいんだよそれが。
ー 走るのが楽しいわけですね。では、阿部さんが今まで生きてきた中で一番最高な思い出ってなんですか?
うーん……カッコつけるわけじゃないんだけど、その一日が楽しければもう最高になっちゃうよね。だから何したから最高っていうか、逆に言って、じゃあすげえなこれもう死んでも良いよみてえのがあったのかっていったらそうじゃなくて、普通にみんなと遊べる。家族があって普通に生活できてるこれが最高なのかなって。
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ー 普通に生活できてることが一番だと。
だから高望みはしてない。例えばじゃあ大金持ちになったと。だからっつってなんなのって。だから俺は金にあんまり執着ないんだろうけど、別に生活してみんなで楽しめてそれでいいわって思っちゃうんだよ。でもまあ動けなくなってからは苦労するんだろうなとは思うけど。
ー そんなにたいそうなものは必要ないわけですね。
うん。……だから最高なこと、やっぱり走ってるときが最高だよね。ほんとバイク好きなんだろうなって思うよ。作ってるだけじゃね。これを走らせたら良いよなって思って作ってんだと思うよ。だからやっぱり自分の人生でそれが楽しくて仕方ないんだろうね。
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ー 阿部さんはこれまでずっとチョッパーと共に生きてきて、逆にチョッパーのない人生なんて無かったわけですから。
そうだね。自分が走れるバイクを無くしたことはないね。その気持ちが自分をつないできたと思うのよ。たとえ乗れなくてもそばにあるだけで凄い力をもらえたっていうのがこの乗り物だと思うんだよ。そういう風に思ってる人たちはたくさんいると思うよ。
ー わかります。
だろ。「ああ俺もそうだ!」っていうやつらが多分いっぱいいると思う。少なくともウチのやつらはそうだから。俺が一緒に共感できるやつらっていうのはそういう気持ちで乗ってると思う。

WILD ROAD CHOPPERS

WILD ROAD CHOPPERS ワイルドロードチョッパーズのショップ外観
住所 宮城県仙台市若林区六丁の目東町7-70
電話 022-287-2422
SHOP WILD ROAD CHOPPERSのショップ紹介
営業時間 10:00 ~ 19:00
定休日 月曜日