TROPHY CLOTHING
江川真樹 Masaki Egawa
INTERVIEW
February 17th, 2018
かつて労働者が燦然と輝いていた、古き良きアメリカの原風景がフラッシュバックするヴィンテージクロージング。それをベースに、現代のマテリアルや手法を用いて再現するのではなく、都会的なエッセンスを盛り込んで昇華させたブランドが、『トロフィークロージング』だ。
代表の江川さんは2006年に同ブランドを始動させ、これまで頑なに妥協のない物作りの姿勢を貫いている。例え周りが効率化やコストカットに走ろうとも、氏だけは自身のスタンスを信じ、手間を惜しむことなく商品作りに没頭してきた。でも、だからこそ、入れ替わりの激しいファッション業界においてその名が光るまでになっている。
高校卒業後に、服飾の専門学校に入るため新潟から上京し、その後数社に勤めた後にトロフィークロージングをスタート。また、アパレルだけではなく、バイク、音楽、東京インディアンズ、といったキーワードとも密接に結びつく日々は、絶えず躍動し続けている。
(写真/磯部孝夫)
洋服かギターで悩んで
洋服のほうをとった
ー ブランドを始める前の話から聞きたいんですけど、高校卒業してすぐ東京に来た感じです?
■ そう。専門学校で上京してきました。服飾の専門で、新宿にある東京モード学園ってとこなんだけど。高校のときに洋服を作るかギターを作るかで悩んで、洋服の方をとったんだけど。
ー 音楽も好きだった?
■ 好きだった。ギターは好きでやってて、まあ親が音楽系だったから。うちの母ちゃんがピアノの先生で、ピアノとあとエレクトーンの。だからそういうので音楽はわりと母ちゃんがソウルとかモータウンとか、あとファンクっぽいのを結構聞いてた。演奏もしてたからね、そうそう。
ー ずいぶんファンキーですね。で、東京モード学園行ったあとは?
■ えーと、行ったあとは一発目にアパレルの会社に就職した。
ー そこはどれぐらいです?
■ 1年ぐらいかな。そのあとは別の、インポートと自社でメーカーやってる会社に入った。そこは原宿の会社だったんだけどもうないんですよね。そこに2年いた。
ー その後にトロフィークロージングを?
■ そう。
モードのデザイナー
最初はそれを目指してた
ー そもそもブランドを始めるキッカケはあるんです?
■ えーとね、その前に友達と今の前身になるブランドをやってた、俺が25のときに。
ー そうなんですか!?
■ 俺意外にね、独立したのが25なの。だから早い方なんだけど(笑)。
ー 最初から独立願望があった?
■ あった。もう最初からそれしかなかった。高校のときからだから。
ー 高校?
■ なんかね、漠然と服屋をやりたいっていうのと、俺高校生のときはモードの世界がすっげえ好きではまってたの。モードっていわゆるパリコレとかミラノコレクションとかランウェイ歩くあの世界ね。それで上京したときはそのデザイナーになろうというのを目標にしてた。
ー モードのデザイナーかあ。異色ですね。
■ だけど実際そういうのをいろいろ見てて、自分とは違うかなって。だってああいうのってショーだからさ、瞬間の服作りっていうか、まあ良いんだけど。また次のトレンドに向けて作ったりとかそういうのがちょっとね。それで中学のころからもともと好きだった古着の方に戻ってきたんだよ。
ー そういうことですか。
■ で、やっぱりアメリカベースでジーパンとか好きだったから。でも俺そのときから、あんまり復刻レプリカっていう価値観がなかった。やっぱそこは根がモードだから、その技術とか、掘り下げ具合で新しい物を作りたいっていうのが最初からあって。
ー 忠実に再現するというよりはプラスアルファで。
■ そうだね。むしろ再現にはあまり興味がなかったかな。でも興味がないんだけど、バイクとかカスタムとかでもそうだと思うけど、セオリーを知らないでただ勘違いしたアーティストみたいに好き勝手やりましたってよりは、やっぱりちゃんとそういうところを理解した上でね。歴史とか在り方を理解して、アレンジしたりデザインするのが好きだったから。
友だちと始めて
2006年からソロだね
ー 25歳のときに自分のブランドを立ち上げたそうですけど?
■ 確か25だったと思う。最初は『シャーウッズ』って名前で。それを専門学校のときの友達と二人で始めた。で、1年半ぐらい一緒にやったのかな。でもそのときはもちろんお金にもならなければ食えないから、俺は普通にバイトしてた。友達もだけど。
ー どういうブランドだったんです?
■ 今と一緒。そんなに変わらない。でもちょっと音楽寄りだったかな、バンドっぽかった。
ー それを一緒にやってて、あるとき解散って感じ?
■ まあありがちなパターンでのちょっとした感じ。それで俺ソロワークになったの、2006年からだね。
毎晩ひたすら手作り
ジーパンもシャツも
ー ではその立ち上げ当時の話を聞きたいんですけど。
■ えーっとね……、前身のブランドのときも知り合いづてでとにかくいろんな店に商品を委託で置かせてもらってたの。だけど、やっぱり洋服を作るのにはロットの問題があって、何枚以上作らないとダメだとか、生地を全部使い切らないといけないとか。その壁がすごい高くて、例えばシャツを30枚作らないといけないとかさ。当時はそれを達成できなかったからひたすら自分で縫ってた(笑)。ジーパンもシャツも。
ー どんなひたすら加減なんです?
■ もう朝から晩まで。晩も晩だよね普通に。毎日朝9時から夜12時ぐらいだったと思うから。
ー 手作りだったんですね。
■ 最初は結構そう。ロットの壁があったから。もちろんクリアできるやつは工場で作ってもらったけど、そんなに卸もいっぱいやってたわけじゃないから枚数いかないやつはひたすら自分で作ってた。結構作ったよ、初期のやつは本当にいっぱい。自分でパターン引いて、切って。
ー そうか! 全部自分で作れるわけですもんね。
■ うん。それは結構ね、専門学校でやってたのが活きた。専門のときはそういう作るのがすごい好きだったし。
ー 野暮なこと聞きますけど、なんで洋服好きになったんです?
■ どうなんだろうね。俺洋服と音楽とバイクで、順序的には音楽、洋服、バイクだったの。なんか作るのが元々好きで、洋服が一番しっくりきてて(笑)。
イメージでの憧れと
マイノリティにやられた
ー 今度はバイクについて教えてください。いま何台所有してるんです?
■ いまはずっと乗ってるインディアンチーフ(47年)と今回乗ったインディアンスポーツスカウトと、FTR250(笑)。これはオーバル練習用のフラットトラッカー。
ー 昔からインディアン乗ってるじゃないですか。ほとんどの人がまだ乗ってないときになんでまたインディアンを?
■ はね、イメージで憧れがあったのと、とにかくマイノリティだったから。
ー どういうイメージがあったんだろう。
■ なんだろうね、まあマニアックなイメージはあって。あとは俺も変わりもんの部類というか、やっぱり人が乗ってないところが良かった。本当にゴロー(※故ゴローズ主宰)さんとか、あとはリトルウイングの大平さんとか滝沢さん(※NEIGHBORHOOD)とかがちらっとどこかに出てたぐらいで。インディアンって名前聞くとすごい印象に残るでしょ、それで。
ひとりの友だちが
ターニングポイント
ー 今日乗ってもらったスカウトとは別に、47年のチーフはずいぶん長く乗ってますよね?
■ あれは13年かな。26のときに買ってるから。なんかそれが一番しっくりきた。
ー へー、どの辺が?
■ いや、実は最初はしっくりこなかったんだけど(笑)。
ー (笑)。ちなみにその前はハーレーに乗ってたんです?
■ 乗ってたよ、ショベル。実はかなり走ってた。それでバイブズミーティングとかにも行ってたからね(笑)。初めてのハーレーはそのショベルのチョッパー、ローライダーベースでFXのサス付きのやつで、2年半とかそれぐらい乗ったかな。
ー で、インディアンに乗り換えた?
■ そう。俺ね、実はターニングポイントがあって、一緒にショベル乗ってた友達が事故で死んじゃってさ。彼は美容師だったんだけどバイク屋やりたいって言ってて、俺は洋服屋やりたいって。
ー 夢を語り合って。
■ で、俺結構前からインディアン乗りたい乗りたいって大して知らないけどイメージだけで言ってたの。そしたら彼が「やっぱ服屋は目立たないとダメだよ」、って。「エガちゃんほんとショベルじゃ周りにいっぱいいるじゃん」、って。そういう話を結構しててさ。
ー そうなんですか。
■ うん。で、友達がいなくなるって初めてだったからさ。すっごい突然過ぎたんだけどね。それで他界したあとに振り返ってみたら、そういうことも言ってたなーって。やっぱりやりたいことっていうかさ、思い切ってやってみようかなっていうので、そこからはもう即効で。
ー そこなんですねターニングポイントは。で、実際乗ったら楽しかったと。
■ 全然楽しくなかったね。
ー うそ!?
■ (笑)。みんなインディアン速いって言うけど、最初のころは調子が出てなかったのもあったりで。あとはその前に1340ccのショベルに乗ってて、それがすっげえ速くて飛ばせたし。そんなのもあって最初はとにかく言うこと聞かないバイクで、よくある『買って最高!』ではなかった(笑)。トラブルもすごいあったし。
ー でも手放さなかったわけですよね。
■ そうだね。やっぱり最初はめっちゃ嬉しくて、もう眺めてるだけでいいぐらいだったんだけど結局乗りたい方だから。それで乗ってみればほんとすごい壊れまくるしで、嫌になったときもあるんだけどね。でもその時からもうブランド始めてて、インディアンってちょっと一目置かれるというか目立つ存在ではあったから。意外とそれで覚えられた部分も後で考えると結構あったりするし。
通じて出会った
ひとつの形かな
ー 次は東京インディアンズについて教えてください。
■ おっと、そこくる(笑)!?
ー はい(笑)。スタートはいつなんです?
■ 5年ぐらい経つのかな。たけちゃん(※WARLOCK代表船水さん)とは昔っからもともと仲良くて、それでナウさん(※東京インディアンズ主宰島さん)は共通の知り合いとかを介してなんだけど。なんかインディアンのみのチームやろうよって話の流れっていうか、ナウさんはちゃんと考えてたと思うけど。
ー 島さんが発起人?
■ そうだね。で、俺とたけちゃんはふたつ返事でOKみたいな。それと、あと他に2人いる。
ー どんな集まりなんです? ブランドじゃないですよね?
■ じゃない。そんなに縦の、先輩後輩もなければフラットな感じでは付き合ってるし。あとはこれまで何回かインディアンのみの走りとかもしてるから、来年もやるんだけど。まあインディアンを通じて出会えたひとつの形かな。
ー これってメンバーになりたい場合は?
■ 結構聞かれるし言われるんだけど、インディアン持ってるからとか東京住んでるからOKっていうのでもないじゃんこういうのって。多分どこのチームもそうだと思うけど。どうしてもインディアンっていうと限定されるから勘違いされがちなんだけど。
ー 他人ではなく、いわゆる気心の知れた仲間たちっていう。
■ そうそうそう。
大切なことは
案外バイクから学んだ
ー では、今まででつらかった思い出を聞かせてもらえます。そんなところに江川さんの人柄が出てくるんで。
■ うーん……、俺ね、わりと楽観的だから忘れちゃうんだよ。あとは試練だと思って勝手に楽しんじゃったり。でもね、これさっきの話だけど、やっぱり友達を失ったのはひとつかな。あとはなんだろう……、バイクがぶっ壊れるとかは日常茶飯事だから。
ー ぶっ壊れるが普通だ(笑)。
■ バイク壊れるのと金がないは全然普通。そこはもう当たり前だったかな(笑)。
ー でも金がないは経営者として避けては通れないんですよね。
■ もう100パーだね。物だってそんなに売れないしね。売ったとしても払う分も多かったりとか。でもまあ、なんとかそれを乗り越えてきて経験としてはプラスになってるし、インディアンも売らないで良かったし。いまこうして続けてこれてるからバイクも仕事も定着してるわけであって。だって俺バイクは結構トップクラスだと思うよ、トラブルとか使ってる額は。
ー そんなに!?
■ うん、フルオーバーホール4回やってるからね、あのチーフで。そんなの中々いなくない(笑)?
ー 確かに普通は2回ぐらいでめげるもんです。でもめげなかったのはなんで?
■ いや、愛してるとかはすごい嘘で、もう意地(笑)、かな。
ー 江川さんを語るときはその意地とか前向きとかがキーワードになってきますね。
■ そうだね、意外としぶといかもしんない(笑)。
TROPHY CLOTHING