SUNNY-SIDE GARAGE
須川真澄 Masumi Sugawa
INTERVIEW
January 8th, 2021
カスタムの前にまずはしっかりと整備すること。何よりも先にオートバイを健康な状態に保ち、そこが出来て初めて、チューニングやカスタムを施行するという姿勢を固持した『調整屋』である。
高年式のハーレーに強く、今やインジェクションチューニングの名士として東海地方随一の評判を得る店主の須川さんが自店を築いたのは2011年のこと。
16歳でホンダドリーム50に乗り、その後数台を経て、18歳でハーレーのスポーツスターを購入。そして地元を離れ、上京した先で埼玉の一流、『バーン!HDスポーツ』の門を叩き、イチからオートバイのいろはを覚え込み、6年の修行期間を経て地元松阪へと帰郷した。
『安全にオートバイを楽しんでもらいたい』という氏のモットーに共鳴したユーザーの輪は次第に広がり、今や押しも押されもしない徳望を集めた店へと成長。更に、最新モデルのスープアップやドライカーボンパーツの開発など、そのバイタリティは精彩を放ち続けている。
欲しい物を働いて買うのは
高校生から当たり前だった
ー では最初に、須川さんの10代の頃の話から聞かせてもらえますか。やはりバイクにどっぷりと?
■ まあ土地柄ジェットスキーもありました。それをして遊んだりとか(笑)。高1でホンダドリーム50とジェットスキー買って。海があるんで(笑)。
ー えっ!? あれって大人の遊びのイメージがありますけど。
■ 大人にまぎれてです。アルバイトめちゃめちゃしてたんで。まあ自分で楽しむ物を働いて買うみたいなのは高校生の時から自然としてました。だからジェットスキーありつつのオートバイです。
料理人を諦めて
東京に出ていった
ー それは意外です。では、上京してバーン(※ハーレーショップ『バーン!HDスポーツ』)で働くまではどうでしょう?
■ 18でスポーツスターを買って地元で乗ってる時に、横に来たハーレー乗ってるおっちゃんにいきなり「そんなのハーレーじゃねえ!」みたいなこと言われたんです(笑)。当時はスポーツスターの存在が今ほど確立されてなかったので、なんていうかなぁ、大きなハーレーを買えない人がスポーツスターに乗るみたいな感じがあったのかな。
ー 急におっちゃんが罵声を浴びせてきたと。
■ はい(笑)。それでそんなこと言われてヘコんでる時に奥川さん(※バーン!HDスポーツ代表)が雑誌ホットバイクのレース記事でトロフィーを持ってスポット浴びてるのを見たんです。「ああこの人は僕がいまヘコんどる車両に乗ってスポットを浴びてるけど僕は同じバイクでヘコんどる」って。それがなんかすごい面白いなって。その時にこの人に会いたいなって思ったんです。
ー 同じバイクに乗ってても状況がまったく違ったわけですね。それでそのまま東京に?
■ やっぱり18でハーレー持つって結構大変で、改造も出来ないですし。だからちゃんと仕事をしてから、また落ち着いてから乗ろうと決めてスポーツスターを一旦売ったんです。でその後で、奥川さんにちょっと会いたいなしゃべってみたいなって。でもその時は料理人になろうと思って調理師をやってたんですけど。
ー えっ!? 調理師だったんですか。その時メカニックになろうとは?
■ ああ、全然全然全然。でも詳しく言うと、そのときこっちで調理師をしてたらイカとエビにアレルギーが出てしまって、フレンチでも何でもどのジャンルでもダメで、料理を諦めた時だったんです。それでちょっとやりたいことを探してた時期で、東京行ってもいいかなって。いろんなことが重なって東京に出たんです。
ゼロどころか
マイナスからのスタート
ー そのときからメカニックへの熱が徐々に?
■ はい、ちょっとずつ。それまでオートバイはずっと趣味でとってたんですけど、やっぱり趣味を仕事にするかしやんかってところでちょっと迷ってて。でも結局それしか興味がなかったんで、とりあえずイージー(※アメリカンショップ『イージーライダース』)さんで募集しとると思って、面接行って、少しだけお世話に。
ー なるほど。そこで部品管理の仕事を1年弱ほどしていたんですね。
■ そうです。でも奥川さんのとこには東京に出てから2年ぐらい経った時に初めて顔を出して、イージーさんで働いてる時も出入りしてたんです。で、バーンが埼玉県の所沢に移転するって話が出た時に、「誰か入れるんですか?」って聞いたらまあ落ち着いたら1人入れようかなって。もちろん自分から入れてくれなんて言えないですよね。ボルト1本ゆるめたことないわけですから(笑)。
ー そっかあ。その時はまだメカニックですらないから。でも奥川さんから電話を貰ったと。
■ よかったら来る?って言って貰えて。でも当たり前ですけど最初はすべてが辛かったですよね。工具の名前すら分からない状態だったんで、もうゼロというかマイナスからのスタートでした(笑)。例えばドライバーの2番取ってと言われても2番ってどれだろうって(笑)。だからドライバー棚のドライバーをすべて持って奥川さんの手元にばらばらって置いて。
ー 分かりますそれ! 業種は違うけど同じような経験があります。
■ 必死でしたね(笑)。それでこれだよって言われて、ああこれが2番なんだみたいな感じですべて覚えました。あとは触ることは出来なかったんで、奥川さんが作業してる流れをすごく観察して、その時になんの工具が必要かとか、使い終わった工具を片付けてとか。あとは洗車。自分が出来る限りのことは頑張ってやりました。それでも給料くれたんで、もらっとんのが申し訳ないぐらい(笑)。
自分の作ったオートバイを
生まれ育った地に走らせたい
ー なるほど。下積みをしっかり経てからの独立だったわけですね。
■ キッカケはお盆とか長期の休みの時に三重県に帰って来て、やっぱりバーンさんでやってるような調子の良いオートバイがすごい少ないなって。でもインターネットはあって、情報はみんな持ってる。でもやれるお店は少なくて。
ー そもそも地元が好きだし、そこにちょうど目がいったと。
■ やっぱりハーレーの規制が厳しくなってきた分、マフラーとエアクリーナーだけじゃ調子が出なくなってきたんですよ。まあそういう対応の出来るお店さんもあるんですけどまだ足りてない。だからそこにニーズがあるかなって思ったのと、あとは自分の作ったオートバイをこの田舎で走らせたいって思ったんですよね(笑)。
ー 自分が触ったハーレーに乗って慣れ親しんだ町を気持ちよく走り回ってくれるお客さんの姿を見てみたいと。
■ そうです(笑)!
鳴らない電話の前で
ずっと寝てました(笑)
ー オープンは2011年でしたよね。最初からある程度人は集まってたんですか?
■ い~え(笑)。とにかく20代の時のお金はオートバイに全部注ぎ込んで来たんで、帰って来て店やる時はお金がなかったんです。もう看板すら出せなくて。でも知り合いづてにお客さんが一人だけ修理を待っててくれてて。だからそのオートバイを直したのが一台目ですよね。
ー 順風満帆の門出ではなかったと。ではお客さんが来ない時はどうしてたんです?
■ 寝てました(笑)。掃除をする所ももうなくなって、自分のオートバイをいじるお金もなくって、朝から釣りに行って、出勤して、鳴らない電話の前でずっと寝てました。1週間とか3週間とか電話が鳴らなくて(笑)。そりゃ鳴らないですよね、だって店出したの誰も知らないですし、告知も出来なかったんですから。
ー でもそんな苦労を笑い飛ばしてしまうところが須川さんの人間力です(笑)。じゃあどの辺から仕事に動きが出てきたんです?
■ やっぱりインジェクションチューニングの効果が絶大やったので、それを体感した人たちが口コミでお客さんを連れて来てくれたことですね。あとは関東のお客さん達がインターネット上で「バーンさんから出た子が松阪でオープンしたよ」って。
ー それは嬉しい。口コミやそういう告知はかなり力がありますから。
■ それでだんだんだんだん、インジェクションチューニングでお客さんが増えて来たっていう感じです。ひとりずつひとりずつ、ほんとにひとりのお客さんをしっかり良い方向につなげられた結果かなと思います。
サンダーマックスは
誰が乗っても別物になる
ー ではサニーサイドガレージの真骨頂ともいえるインジェクションチューニングに関してですけど、数あるデバイスの中からなぜサンダーマックスを使っているんです?
■ サンダーマックスはフルコンピューターでコンピューターを丸ごと入れ替えるものなんですけど、よく比較されるサブコンとの違いはやっぱりいじれる範囲がすごく多いこと。任意ですべてのことが出来るのと、一番大きいのはフィードバックがあることですね。
ー コンピューターからフィードバックがあるということです?
■ 入力したデータに対して、オートバイからもうちょっとこうした方が良いんじゃないかっていうフィードバックがあるんですよね。それをコンピューターが覚えて、パソコンで見れることによって一方通行じゃなくなる。普通のサブコンとかでしたらこれぐらい燃料上げてくださいねって打つと、それを打ち続けるんですけど。
ー 双方向で能力が高い分、狙い通りのセッティングが出せると。
■ 燃料を一方通行でしか出せないサブコンだともう少し必要だったり、逆に必要でなかったりする場合があるんです。でもサンダーマックスの場合は走った時のアクセル開度と回転数の部分だけは学習して覚えてくれるんですよね。だからそれをパソコンを使ってベースMAPを上書きすることで最適なMAPを作ることが出来るんです。
ー 常に良い状態に更新がかけられるんですね。
■ あとコンピューター任せではなくて手作業でイジる部分もあって、そこはうちの経験が物を言う部分かなと。
ー 今やハーレーのポテンシャルを引き出して気持ち良く乗ってもらうにはインジェクションチューニングが必須じゃないですか。野暮なこと聞きますけど、やっぱりノーマルと比べると違うものです?
■ 別物だと思います。2007年式以降は基本的にはやったほうが良いです。もう誰が乗っても分かるぐらい別物になりますから。あとは、やっぱりオートバイを長く乗る秘訣としては乗って面白くないと飽きてしまうので、まあカスタムする時にちょっと乗り心地も楽しくした方が乗る回数も増えるでしょうし、飽きずにその趣味を長く楽しめますよね(笑)。
ドライカーボンパーツは
一番のクオリティだと思う
ー さて、次はオリジナルのカーボンパーツですけど、どの辺の車種用が揃ってるんです?
■ ミルウォーキーエイトの一部と、ツインカムのダイナとソフテイル、スポーツスターですね。ダイナのローライダーSを触ってるときに張り切って作ったんで、ダイナが一番充実してます。
ー カーボンパーツとひとくくりにされがちですけど、これはウェットカーボンではなくドライカーボンのハイクオリティな素材を使ってるのが売りですよね。
■ 品質はもう1番だと思います。松阪の国内トップレベルの職人さんに頼んで作ってもらってますから完成度は間違いないです。それにあんまりレーシングスペックに寄せ過ぎると使えないので、ちゃんと街中で使える強度にもしてますし。
安全安心に
すべては整備ありき
ー 須川さんが普段仕事する上でなにか大切にしてることってありますか?
■ まずは、事故をさせないこと。これは一番で、安全運転と安全なバイクに乗ることですね。ハーレーの場合見た目で改造することも多いので走行性能を損ねる部品もたくさんあるんですけど、うちは極端な話は断るようにしてるんです。ちゃんとしたパーツを付けて、安全にオートバイを楽しんでもらうことをお客さんには常々言ってます。これはもう口酸っぱく、時にはきつい言葉で言うこともありますし。
ー 確かに下手に怪我されるぐらいなら、そっちの方がよっぽど救われます。
■ あとは基本的にカスタムする前にはちゃんと整備すること。やっぱり整備あってのカスタムですから、人間の体と同じように不健康なまま鍛えてもよくならないのと同じで、オートバイもまずは健康な状態にもってきてあげて、整備をして、そこからチューニングに入っていったほうが絶対良くなります。
ー なるほど、分かりやすい。健康体にして初めて、欲しい筋肉を増やしていくと。
■ で、健康に保つことは将来的にも壊れる部品が少なくなるし、消耗部品も少なくなる。だからウチのモットーは、無駄なお金を使わずに長く楽しむことじゃないかな(笑)。部品ひとつひとつが高いですし、修理費もかかりますし。みんなが余裕あるわけでもないんで、おせっかいかもしれないですけどお客さんの懐事情まで把握してあげて、やっぱり損しないように長く乗れる車両を作り上げてあげることですよね。
SUNNY-SIDE GARAGE