HOT-DOCK CUSTOM CYCLES 河北啓二のインタビュー

HOT-DOCK CUSTOM CYCLES

河北啓二 Keiji Kawakita

October 27th, 2016

国内カスタムシーンの黎明期からその発展に大きく貢献し続ける老舗カスタムショップ、ホットドックカスタムサイクルズ。オートレーサーの父を持つ代表の河北啓二さんは10歳でスポーツカブに乗り出し、以来、バイクとクルマにのめり込むことになる。

高校を卒業後に手に職を付けようと、クルマの鈑金屋で修業を積み、それまで客として出入りしていた当時東京都世田谷区にあったモーターサイクルズ・デンより金属加工の仕事を受注。その後晴れて、1984年に地元の東京都練馬区にショップをオープンさせた。

ハイクオリティなレーシングパーツを組み込んだロー&ロングが特徴的なカスタムマシンは一世を風靡し、国内はおろか世界中から高い評価を得、2008年のS&S 50thでは世界の頂点にも輝いている。また、ハーレーオンリーのカスタムショー『クールブレイカー』を主催し、国内シーンの成長と活性化にも尽力。

現在も尚、第一線を疾走する河北さんの半生を紐解いてみよう。

HOT-DOCK CUSTOM CYCLES 河北啓二のインタビュー

CB450に1年乗って
今度は750に乗り換えた

ー バイクに触れるキッカケはお父さんの影響ですか。
うん、小さい頃から身近にあったからね。オヤジは僕が8歳ぐらいまでオートレーサーだった。で、当時スポーツカブをオジキにもらったの(笑)。10歳ぐらいだったかな。それを広場とかでよく乗ってたね。
ー そこからはバイク一本で。
夢中になったのは16から。CB450、750と乗り継いで。でも、それも2年ぐらい。
ー えっ!? そうなんですか。
うん、17ぐらいからクルマが欲しくなっちゃって。でもお金がなくてすぐクルマは買えなかったから死に物狂いで働いたの。神奈川の方でオヤジがクルマの整備系の仕事で独立したのね。面白そうだからそこで働いて、1年間遊びもせずにひたすら金貯めたよ。それでようやくZの432っていうのを手に入れて。今すごい値段になっちゃってるのがあるんだけど。
HOT-DOCK CUSTOM CYCLES 河北啓二のインタビュー
ー バイクからいきなりクルマだったんですね。では、クルマだったのになんでホットドックというバイク屋を始めることになったんです。
うん、クルマもZ乗ったりその後スカイラインのGTRっていうのにも乗った。で、オヤジのところでメカニックの仕事をしてたんだけど会社がダメになっちゃったの(笑)。それで帰って来て、近所のガソリンスタンドにとりあえず勤め出した。20ぐらいだったかな。スタンドってクルマ好きには天国のように見えたんだよ、毎日洗車してみたいな(笑)。でもね、なんかね、僕すっごいクルマ好きだったんだけど、お金さえあれば大して好きじゃないやつも良いクルマに乗ってくるわけだ(笑)。 
ー なるほどなるほど。
そこがなんか違うなって思うようになったの。そんな時に、先輩が塗装屋をやってて、自分が独立するから鈑金屋が欲しいって。お前鈑金の修業してこいよって。5年ぐらい修業したら一緒にやろうって言われて、ああ良いっすねって。そこから手に職付けようと思ってスタンドをやめて鈑金屋になったんだよ。その頃クルマにはずっと乗ってるんだけど、鈑金屋をやって余計クルマが分かって来るわけじゃん。腐ってるのが分かって来るのよ。GTRも良いクルマだったんだけどあっちこっちが腐ってて。
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バイクは
好きな人しか乗らない

ー 外装が腐るわけですね。
そうそう、要するにクルマってボディの下がみんな腐るんだよ。それ直すんだけど、もうなんかがっかりなんだよね腐ってる段階で。いくらGTRだっつっても腐っても鯛じゃなくて、腐ってんだよ(笑)。だから僕的にはもうダメだった。それになんか昔の友達がどんどん良いクルマに乗り出してたし、付き合いも徐々になくなって。
ー ああ、テンションが下がっていくわけですね。
その頃は20からやってる波乗りによく行ってて。クルマに乗り出してからずっとやってたんだけど、その頃はクルマも腐ってるから飽きて海ばっかり(笑)。でも海行けば潮風でもっと腐るしでなんか良いこと無しだったの。そんな時にね、ハーレーのローライダーがブーッ!てクルマの脇を通って行ったの、ひっくいバイクがさ。タンクにハーレーって書いてあって、あれ?って。その時はデカいハーレーしか知らなかったから。
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ー うわっ! なんか鳥肌立ってきた(笑)。
そう、それで後を付けてったの。そしたら村山モータース(※現H-D新宿)に行き着いて、そのまま中を覗いたら沢山低いバイクがあって、そこでもう、「ああバイクにしよう」と。だって、バイクはやっぱ好きな人しか乗らないじゃない。なんかその時に自分らしさを表現できるのはこっちだなって思ったんだよ。だからハーレーはそこからだね。すぐスカイラインを売ってそのお金でハーレーを買った。
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知らねえ鈑金屋が
すげえの作ってるって(笑)

ー ホットドックはオープン何年になるんですか?
オープンは買って5年後ぐらいになるのかな。1978年の25の時にローライダーを買って、’84年に独立したの。だからハーレーに乗って5年間はずーっと鈑金屋。誘われた先輩のところでずっとやってたから。
ー 鈑金屋からカスタムショップへの転機は。
その頃からカスタムを自分でやってたんだけど、もう簡単なわけよ。ハーレーのカスタムなんて(笑)。
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ー ああ、クルマの大きさと比べてしまうと。
そう、小さいし(笑)。で、デン(※モーターサイクルズ・デン)とかカスタム屋に行くじゃない。そしたらしょうもない機械を使ってなんかいろいろやってんだよ。
ー 河北さんが仕事で使ってたようなツールではなく。
素人の機械でやってるわけよ(笑)。すべての作業を。これじゃあ手間食うだろうなって。で、こっちはなんでも出来るからさ、切った張ったも、叩いたり、タンクだって普通に作れるし(笑)。
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ー なるほど。当時はしっかりした技術を持ってやってるショップはいなかった。
うん、いない。もうみんなセンスと好きという気持ちだけでやってた。要は素人がやってたんだから。そこへ僕らはこれまでやって来た仕事がプロなわけじゃん(笑)。そのころ自分で作った物をショップに持って行って見せてたの。「おお、がんばってんじゃん!」みたいなことを言われたんだけど、実はその時のことを後で聞いたら、「知らねえ普通のやつがあんなすげえのを作って乗ってるのか!?」って(笑)。そうとう食らってたみたいなんだよ(笑)。
ー もはや道場破り状態(笑)。
だね、ユキオさん(※故モーターサイクルズ・デン主宰)とか相当食らってたみたい(笑)
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デンの客から
下請けになった

ー ホットドックのカスタムスタイルといえば、ロー&ロングだと思います。そのスタイルに行き着いたキッカケはあるんですか。
自分のローライダーをずっとカスタムしてたわけ。その時に、ベイエリアカスタムが作ったある一台があって、それがこう低くて、ちょっと前が寝ててみたいな。それがカッコいいなって。だから映画のイージーライダーじゃないんだけど、ピーターフォンダが乗ってたのよりもデニスホッパーの方が僕は好きだった。あとは街乗りにもこだわりがあって、街乗りのドラッグレーサーに乗りたいなって。そこからだね。
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ー 先ほどからモーターサイクルズ・デンの話がちょいちょい出ますけど、最初はデンのお客さんだったんですよね。
そう、お客さん。で、ミノルちゃん(※ロナーセイジ代表中村實)がデンに入社したんで、彼に仕事なんか無いかなって相談して。鈑金屋やってるからなんでも出来っからって。それで、バイトみたいな感じで下請けになったの。
ー えっ!? そうだったんですか。
うん。下北に店がある頃近かったからそっちに行って、「なんかないすか佐藤さん」とか言って一時期英車をやってた時があって、じゃあこのBSAを持って行きなよとか。
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世界中見渡しても
そんなやつはいなかった

ー 先ほどの話にもあったように、河北さんにはカスタムに関してプロとしての自負と、しっかりと作り込むべき基準があったわけですよね。その辺はどこで培われたんですか。
それはね、レースで覚えたの。
ー レースですか?
うん、その頃ちょうどいろんなロー&ロングの街乗りバイクも作ってた。元々レーサーのパーツって良いパーツでしょ。今では普通だけど、ブレンボやロッキード、フォルセラのフォークとかブランド品がいっぱいあるじゃない。そういうのを買って、ローライダーに組み込んで誰もやってないようなバイクにしていったの。要するにハイパフォーマンスな、ロードレーサーで使えるような部品をハーレーに使おうと。これはロナーセイジに教わったんだけど。
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ー レーシングパーツをカスタムに取り入れるのは初の試みだったわけですね。
世界中見てもハーレーカスタムにそんなことをしてるやつはいないわけよ。だからそこは自分でも先端なことをしてる自覚はあって、これで行こうと思ったわけ。だけど、きっちり作ってるつもりでもやっぱりパーツが落ちたりするわけじゃない。ステーが折れたりとか。それはまあしょうがないとか思ってた。その頃はツインレースが始まってて、うちらもレースに出るじゃない。するとレースですぐパーツが折れるんだよ(笑)。すぐボロが出ちゃう(笑)。だからそこでいろいろ勉強した。 
ー そのレース活動はどの辺からリンクし出すんですか。
えーっとね、’84年に店始めて’86年ぐらいから。でもちゃんと頑張ったのは’95年まで、もう20年ぐらい前だね真剣にやったのは。今出てるのはお客さんが出たいっていうのと、必ず何か手元にレーサーが1台あるんだよね(笑)。全部手放してはないから(笑)。最近はXR 750の、旧車のクラスに出てる。そこはみんなほら、WRとかWLとかだから居心地が良いんだよ(笑)。 
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これ見せたらきっと
びっくりするぞ!って(笑)

ー 話は変わって、河北さんは多趣味ですけど今はどんなのにハマってるんです?
今はこれと言ってないな(笑)。全般。
ー でもサバイバルゲームとか。
ああ、オンラインゲームが好きだな。サバゲーも楽しいよね。サバゲーもなんだかんだ随分行ってるよね。でもサバゲーは仲間がいないと出来ないからなかなか予定が合わない。それに僕は後発なんだよ、ここ5年ぐらいなんで。みんな若いころからやってて、もう60過ぎたらやらないんだよ普通、疲れちゃうから(笑)。 
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ー オンラインゲームは?
これは、うーんと、家族には内緒でやってるんで頻繁にとは言えないんだけど、でもやれと言われれば出来るね別に(笑)。
ー 模型も?
模型も毎晩ちょこちょこと、ちょっとずつ。
ー 毎晩やられるんですか?
波があって、のめり込むとずっとやってるけどね。でもこっち(※バイクを指さして)も作ってるじゃない。両方作るからたまに疲れるときがあって(笑)。
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ー 河北さんのように没頭できるのが多いカスタムビルダーは少数派ですよね。
でも自分では、このおかげで面白いカスタムが出来てると思うんだよね。ああいういろんなものを作る時に、他の世界の要素を取り入れるのが僕はとっても好き。海外とか行って向こうのビルダーと話しててもみんな関心するんだよ。へー!! って。みんなバイクしか知らないから、「ここカッコいいでしょ、第二次大戦中に普通にあったんだよこういうのが」って教えるとそうなんだって言うわけよ(笑)。
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ー では最後になりますけど、ある意味カスタムを極めた感のある河北さんだからこそベタに聞きたいです。ずばり、河北さんにとってカスタムバイクって何ですか?
うーん……、うーん……、なんだろうね。一分の一の模型かな(笑)。バイクは自由でしょ、ハーレーなんか特に。制約もないからフルスクラッチっていうのかな、自由に、作るっていうのは楽しいよ。
ー その楽しさはお店を始めた時から変わらないですか。
変わらないね。要は、これ作ったらびっくりするやつがいるぞーっ!て思うわけ(笑)。
ー おお(笑)。
このパーツを使って、こういう風に付けたらびっくりするぞーっ!て(笑)。それはだから、自分が素人の時に作った物をショップに見せびらかしに行ってた時と全然変わってないよ(笑)。

HOT-DOCK CUSTOM CYCLES

ホットドックのショップ外観
住所 東京都練馬区貫井5-16-6(Google MAPを開く
電話 03-3926-0220
FAX 03-5241-0200
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定休日 日曜日、祝日