BLUCO.INC
青木厚典 Kosuke Aoki
INTERVIEW
May 12th, 2017
国内唯一のワークウェアブランド『BLUCO』と、バイカーシェードに特化した『UNCROWD EYEWEAR』。そして、そこから派生したクオリティとパフォーマンスに比重を置くバイカーズギア『UNCROWD CYCLETOGS』を展開するBLUCO.INC。2006年の発足以来、いずれも他の追従を許さない、圧倒的な強さでシーンを独走するリアルブランドである。
BLUCOとUNCROWD共に、ファッションシーンとは対極をなす、現場でこそ光り輝く物作りで多くのフォロワーを従え、今ではワーカーのみならず、その人気はスケーターやサーファーといったストリートのカッティングエッジにまで波及。使い込むほど身に馴染む、飾り気のないシンプル&タフの勢いは留まるところを知らない。
そんなブランドを牽引する代表の青木さんは、10代の時はあの読売ユースに所属するほどのサッカー少年で、その後ファッションにのめり込み、多くの職を経て現在に至ると言う。ここではその人間味溢れた氏の半生に焦点を当て、よりその深みにはまってみたい。
流行りものを追って
何十社も渡り歩いた
ー では青木さん、改めましてよろしくお願いします。
■ はい、ど~ぞ。
ー (笑)。じゃあまず、10代の頃からザクッと。
■ 生まれ育ったのは調布で、まあ地元に面白いのがないから新宿とか渋谷に遊びにいくわけ、中学生ぐらいから。すると周りはみんな大人で、自分も大人びた少年で遊ぶんだけど、酒飲めるわけじゃないから何かっていうとファッションにいくんだよね、自然と。で、とにかく服に金をバンバン注ぎ込んでいたかな。
ー それからどこかに就職するわけですよね?
■ それもね、バイトも含めるとほんとに何十社もいろんなとこに(笑)。
ー 何十社(笑)。でもアパレル系ですよね?
■ そんなことないよ。システムエンジニアリングの仕事がしたくてやってみたり、インテリアコーディネーターを目指して講習を受けてみたり、アリスファームっていう家具集団がいて北海道まで行ってそこの門を叩いて見学させてもらってちょっと無いなって帰ってきたり(笑)。
ー なるほど(笑)。
■ もうだからノープランで流行りものを追うミーハーな少年だったよ。
ファッションは
モトクロスからかな
ー どの辺からファッションに向き出したんです?
■ うんとね、25、6かな。あの、モトクロスにはまったのよ、モトクロスのファッション格好良いって、アメリカの。ほんとアメリカっぽいじゃん。
ー 本気のやつです?
■ 本気のモトクロスファッション。’70~’80年代の派手派手な。その時にそれを主宰してたロッキースポーツってとこに俺入ったの。で、そこが当時トロイリーデザインとかノーフィアとかFOXの正規代理店で、そこの営業をやり始めてどんどんモトクロスにはまっていくわけ。
ー モトクロスもやってたんですか?
■ やってたやってた、走ってもいたし。CRっていうレーサーで。関東選手権こそ出なかったけど結構その辺まで。
ー 思いっきり本気じゃないですか!
■ 本気本気本気本気、もう全部本気。いまサーフィンで上手い人たちとやってるように、その時A級ライセンスの子たちをそこの会社でサポートしてたから、一緒に走ったり。で、海外からランディホーキンスとかジミールイスとか世界チャンピオンを呼んでスクールとかやったり、そいつらと富士山の林道を登ったり。
社長の椅子が嫌だった
イケてないなって
ー その後は?
■ その時にライコ(※オートバイ量販店)とか営業に行ってたの。で、そこで結構買ってもらってたんだけど、引き抜かれたんだよね要は(笑)。
ー デキるから(笑)。
■ 引き抜かれたのはライコがオープンする前。「こういうのをやりたいんだけど君あのバイク系のアパレルの主任クラスで席が残ってるからやらない?」って。いいっすよ(笑)!
ー なるほど(笑)。で、どれぐらい?
■ 10年いた。その後にパワーエイジ。
ー それはなんでです?
■ それはね、ライコで店長として一通り立ち上げとか全部任せられた後に、次お前社長やれってなったの(笑)。そんときにリアルに、いや、量販店の社長ってイケてないなって(笑)。
ー マジかあ(笑)。
■ もう、いわゆる立ち上げとかそういうドラスティックな仕事って好きなわけよ、こう今まで無かった物を作り上げるとか。で、当時世界一大きかったカリフォルニアのアメリカンチャパレルまで現場調査とか行って、そこよりも大きい世界一の店を作ったの。それで次は社長だぜって言われた時に目が覚めて(笑)。
ー ふと思ったらこうじゃないと。
■ 作ってる最中は面白かったの。どんどん売り上げも上がってって。で、チェーン展開もルール通りに出来るようになって、システムも全部出来上がって、じゃああとはどんどん増やそうと。結果的にいま何十店にもなってるけど、仕組みが出来れば面白味はなくなるわけじゃん、俺じゃなくても良いって。で、そんな時に、あとはお前社長になれば居るだけで金ももらえるしみたいな(笑)。次は社長やれって言われた時にいやあイケてねえ(笑)。
ー 普通はイケてるって飛びつくところを(笑)。
■ もう下手に延ばしても失礼だなと。もう辞めますが先に出ちゃった。
パワーエイジで
物作りの現場を知った
ー そこからは?
■ もうそん時も服が好きで、だけど俺はなんも物作りの現場は知らなかったの。
ー うんうん。
■ そうすると、例えば独立してなんかやろうとしても口でしか言えないわけよ。「こういうのが欲しいな、ああいうのが欲しいな」しか言えなくて。それじゃやっぱダサいなって。現場を見たいって言うので、たまたま当時の取り扱いの業者にいたパワーエイジさんの社長と仲良くなって。
ー パワーエイジがひとつのターニングポイントに?
■ そうそうそうそう。
ー パワーエイジからは?
■ そっから2年。俺こういう性格だから短期集中でいろんなことを覚えるんだけど、2年もあれば十分で、そこから独立しようって。
ー 38で独立して、4年後の42歳の時にBLUCOを立ち上げたんですよね。
■ そうそう。
100%リアルワーク
そこはずっと変わらない
ー BLUCOとUNCROWDはサーファーやスケーターからの支持も熱いですけど、別に横乗りブランドを意識してるわけではないんですよね。
■ 全然ないです。うちが意識してるのはワークウェアだけ。あくまでワークウェアで、いわゆるファッションも意識してないし、プロモーションもそっち方向にはやってない。ディーラーさんとかが出すには良いんだけど、うちはあくまでワークウェアっていうスタンス。
ー その辺は立ち上げからまったくブレないですね。
■ ディッキーズしかりレッドキャップしかりカーハートしかりで、周り見るとワークウェアブランドって日本に無いのよ。いまだに無い。丈夫で安くてシンプルでグラフィックもどこにも入ってない、で、ラインナップもちゃんとあるブランドは12年前に無かったの。てことは、これは売れるぞと。でも俺はそこから追従してくる人がいると思ったんだけど来ないんだよね。
ー もうBLUCOが強すぎて勝負にならないと踏んでるからじゃないですか?
■ どうだろう。まあBLUCOの真似を作ってもしょうがないみたいなのはあるかもね。ただ俺から言わせれば、海外とか行って見ててホームセンターで思いついたの。これリアルで格好良いなって。思いついたっていうか気付いたの。で、みんなジェシー(※ジェイソン・ジェシー)とかディッキーズ履いてハーレー乗って格好良いなって。でもアメリカ行くとディッキーズとレッドキャップ以外にワークウェアって一杯あって、ただそれはブランド名が違うだけでテイストは一緒なのよ。
ー そうなんですね。
■ ワークウェアってくくりで見るとイタリア、フランス、ヨーロッパワークとかも凄い一杯あるのよ。だから俺そっちで追従してくる人がいれば相乗効果があると思ったんだけどねえ。
好きな物を作ったら
それがブランドになった
ー ではアンクラウドはどうです?
■ アンクラウドもただ自分がバイカーシェードおたくで、アメリカとか行くたんびに買ってたのよ。それをただ単に作っただけで、バイカーシェードブランドっていうのも日本に無かったの。今も無いけど。
ー 青木さんが目を付ける所ってそこですよね。パイオニア的な
■ 隙間。
ー いや違うな。
■ 隙間って言うか、無いもの。で、ニーズがあるもの。眠ってるもの。
ー その辺の嗅覚は?
■ それは理屈っぽいだけ。
ー えっ!? 理屈ですか?
■ 理屈的に。だってさ、UNCROWDのアイテムって他のサングラスブランドが出してもおかしくないデザインなわけよ。でも他のブランドはサーフィンやらなんやら別のバックボーンで売ってるだけで、うちは無理くりその商品を趣味のバイカーシェードってとこに独自性を持って来たんだよね(笑)。
ー なんかファッション系の人たちって変に自分を良く見せたり、不利なことは敢えて口にしないものですけど、青木さんは違いますね。
■ ワーク系だから(笑)。
地に足を着けた環境で
ブランドをやりたかった
ー 話を変えて、青木さんを語る上でサーフィンは外せません。あまりにも好きすぎて東京から千葉に移住してしまうほどで……えっ!? 違う(笑)。
■ 東京が嫌で田舎に来たかったの(笑)。
ー サーフィンじゃなくて。
■ じゃなくて。
ー 東京はなんで嫌だったんです?
■ あの、俺ね、BLUCOはワークウェアだからプロモーションとかパーティーを開いてとかイベントやってカタログ作ってとか、もう『ぶわーっ!』ていう華やかなファッション業界とは違って、地に足を着けて確実に企画をやりながらブランドを回したかったの。だから東京にいると仕事になんないなって。
ー なんでです?
■ 邪魔が入るから(笑)。まずリアルに時間的な邪魔。仕事しててみんな遊びに来るでしょ、それはありがとうなんだけど、やっぱ来れば接しなきゃいけない。でも、もう俺ずっと常日頃から仕事のことを考えてるわけよ。プランがあってデスクに座ってそれを形にしようってやるんだけど、ぱって邪魔が入るだけでもう。例えば自分が集中して原稿書いて編集してる最中にだよ……。
ー うわー! それやだー(笑)!
■ やでしょ(笑)。それと同じだよね。
ー それで東京から千葉に移ったと。でもなんで千葉だったんです?
■ それは海か山かで嫁とどうするって考えてて、そん時に俺ちょっとサーフィンしたいなって思っただけなの(笑)。
ー なるほど(笑)。なんかあったんですかそのサーフィンに?
■ サーフィンは男の子の夢じゃないけど。
ー ちょっとやろうかなと。いくつの時です?
■ 45。
ー やってみてどっぷりと?
■ もう環境がね。面白くて。
自由でいることを
昔から望んでいた
ー それにしても青木さんとこう話していると内容もそうですけど、ストレスを感じさせません。
■ ねえ(笑)。
ー でもそれは印象であって、ストレスを抱える時ってあるんですか?
■ 俺はすごいストレス派なんだよ(笑)。
ー えっ!? そうなんですか!
■ いまもストレス(笑)。
ー こ、これが!?
■ うん。
ー なんだかスミマセン、でももう少しだけ付き合ってください(笑)。
■ すごいストレス(笑)。俺はさっきも言ったけどひとりでボーッとして、自分のことを考えたいの。自分が考えたいことを考えたいの。
ー なるほどですね。
■ 3年後こうしたいなとか5年後こうしたいなとかさ。でもそれは時間があって初めてそういうことを考える余裕が出来るの。結構いろんなことを考える派だから自分の時間が欲しいんだよ。
ー はいはい。
■ 自分の時間っていうのは自由だよ、ほんとのフリーの時間。だから一番苦手なのがもう約束。
ー おっと(笑)。
■ アポイントとか約束。あと電話。だって電話来たら出なきゃいけないんだよ。
ー (爆)。はいはいはいはい。
■ だからメールとかラインとかはすごい助かってる。好きな時にこっちからかけ直せば良いやって。
ー 束縛も嫌だし。
■ それはもう小学校から。行かなかったもん俺。
ー 小学校に!?
■ 就業時間にあそこに並んでなさいっていうのがもう嫌なの。ツッパってとかじゃ全くないんだよ、もう毎日決められた時間に起きて、決められた時間にランドセル背負って、なんとか表通りに国語算数理科社会の教科書を揃えるっていうのがもうダメ。
ー (爆)。
バイクとサーフィン
それでもう十分
ー では最後に、将来のビジョンを聞かせてもらえますか?
■ それはもう、リタイヤだよ(笑)。
ー リタイヤ(笑)!
■ 完全に(笑)。リタイヤして毎日好きなことをする。もうやりたいことをやる。
ー それは?
■ サーフィンとバイクだね。と、旅行。ファッション、洋服とかに興味ないし(笑)。
ー ワーク系ですもんね(笑)。
■ 他にはないね。そんなやっぱ出来ないもん、体一つで50過ぎて。もう二つあれば十分かな。バイクとサーフィン。
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